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価値と記述

日本語で書くとあまりパッとしないかも。直訳だと本来のニュアンスが薄れる気がする。

ここで言う「価値」とは「規範」と置きかえてもよい。そのような置きかえは不適切だ、とご批判をいただくかもしれないが、そのような方には「規範」の意味で考えていただければよい。私がここで「価値」の意味をそのように歪曲して使っているだけで、規範の意味のほうを変えているわけでないので。
私はこの2つ、「価値」と「記述」が完全に分離されるものとして考えてきた。自らの研究もそのように進めてきた。これは特におかしな方略でもないと思う。データ採取に熱心な認知心理学者は、価値の問題についてあまり語ろうとしない。逆に教育心理学者や社会心理学者は現実的にそのような言及をせざるを得ないところへ追い込まれることが多いのではなかろうか。
この2つは切り離して考えなければならない、というような主張は法廷などでも数多くなされてきたことと思う。人の持つ価値観と純粋な現象の記述あるいは観察を分離することは物事を冷静な目で見通すのに必要なことであるという共通認識が少なくとも知識階級の人々には存在するのであろう。

だが最近、このような分離はダメだという類の論を聞いた。もちろんその道の人の主張である。
価値観、道徳観を記述しようとする倫理心理学者はいつもこのような問題に悩まされてきたのであろうが、やはり還元論的な見方に立たなければそのようなことはそもそもできやしない。つまり彼らは価値を客観記述できるものと考える。しかしそれではいつまでたっても終わらないのではないか。客観的記述は不可能という主張が道徳論と認識論を同じ土俵に立たせようとする説からの演繹として導かれる。それはつまり価値についても同じである。自らの価値の内省的に客観視することなど可能であろうか。

まだその論の内容を精査できていないので強いことは言えない。今後検討していくつもりだ。

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