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心理学と心学

心学という名前の学問は一般には存在しないことは明らかだが、しかし、このように書くと、心理学との対比が明確になるので、あえてこんな単語を作ってみた。心学とは、こころを理解しようというさまざまな試みを総称するものであり、対して心理学は、やはり法則的理解を目指すものである、ということだ。(私のネーミングでは。)よって、ここでは、心学が心理学を含む。
このタイトルで示唆したいことは大きく2つ。

最近、質的研究法みたいなことが流行り始めている。この質的という言葉がさすものすら研究者によって違うから、ここでそれらに包括的なコメントをすることはしないけど、私が言いたいことは、それらのうちの少なくとも一部は、私がここで使ったような意味の「心理学」とは違ったことを行っているように思える。まあ、これはそんな新しい方法論だけが対象となるような批判じゃなく、既存の○○心理学にも当てはまるんだが。。
そういうことで、私は、法則的理解を目指す学問と、そうではなくて全般的に「私は心の理解を目指しているのよ」を表明するための肩書きには、区別して違う言葉を当てたほうがいいんじゃないかと言いたい。このタイトルに意図されたことの一つだ。


もう一つ。心理学という言葉で既存の心理学的方法論でやる研究を指している。そしておそらく、どんな「心の研究者」であっても、おそらくほぼすべての研究者の目標としているのは心のしくみの理解であるのだから、つまり、やりたいことは心学(とにかくどうやろうが心を理解したい)なのだから、既存の方法論以外の方法論の可能性も考慮すべきだ。
たとえ「法則的に理解したい」研究者に限ったとしても、その目標が達成されるならそのためのやり方は制限されないはず。やり方が制限されるというならそれは、「その『やり方』がやりたい」という目標になっている。そして、そんな研究者が本当にいるのか?まあ絶対いないとは断言しないが、よくよく考えていただければ、そんなものに心底魅力を感じる人なんて稀だろう。
というわけで、心を理解するための他の方法もすべて考慮に入れつつ、謎解きに向かって進んでいく、というのが健全な姿だと思うわけだ。だから私などは、人工知能研究とか、立派な心学的手法の一つだと思うし、考古学でも宗教学でも芸術学でも(これらはたいてい認知科学のバックグラウンドリストに入れてもらえない)、心理学者がむげに(自分と目的が同じであることを)否定する必要はないと思うし、彼らも十分に心学者であると思う。
「いや、私は法則的理解という目的からしてわれわれの学問とそれらとは異なると言っているのだ。」 うん、それはもっとも。だが、それでもなお、たとえば人工知能研究は、あなたの言う法則的理解とやらに貢献しそれを達成することを目標にしているではないか。そういう点で、「心理学」には心理学以外も大いに含まれよう。

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