« 2004年7月 | トップページ | 2004年9月 »

2004年8月

自律的情報制限

アニメやビデオゲームや特撮や・・・
私はこのような文化の中で育てられ、このようなものが好きである。私の育った環境からして、メディアとは第一に遊び道具であった。
私は映画を見たりゲーム(ストーリーを付けているもの)をやったりするまえに、できるだけそれらについての事前情報を得ないようにする習慣がある。自分のPCとネットワーク環境を持ち、内容に"深く"関係する情報に事前に自由にアクセスできるようになってしまった最近は特にそうである。要するに、「ネタばれ」と呼ばれるものを意図的に避けているのであるが、ストーリーのネタだけでなく、感想や論評の類も避けている。たとえそれが抽象的な形容概念や具体性を持たない誉め言葉だけで構成されていたとしてもである。
もちろん、自分にとってそうするほうがよい、と思っているからそのようにしているのであるが、考えてみるとこれは、情報制限ではないか。しかも自律的な。
そして、それがよいと思っている私のこの感覚は、何なのであろうか。というのも、自分でうまく説明できないのである。それはなぜだか直観的なものなのだ。メモとしてここに書いておくと、この直観の内容は、「それがその作品に対して最も"純粋"で"誠実"な視点をとる方法である」、あるいは、「そうしなければ評価が歪む」、「そうしていれば見出せたはずの何かを見失う」というものである。
これは一体どういうことであろうか。もちろん私の中に埋め込まれた(共有的な)認識観を端的に表したものと考えることもできる。しかしそのようなものは"構成"されるのか。逆説的に思えてしまう。なぜって、その論評こそがまさに構成の過程を例示する際の代表選手であると思われたからだ。コントラストでこちらが見えるようになった。直接伝導されるものはこちらであろう。そこから方法論を帰納するのだというのであれば、その帰納のためのルールはどう決めるのか?それは構成されるものではないのか?どれが構成物でどれはそうでないのか?間に関数関係を挟んでしまうと、「すべてが」は主張しにくくなる。だから、どこかで普遍性に訴えて止めなければならないのでは。そしてそれがどの次元であるのかが関心となるはずだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

モデリング

認知科学(に限らないのかもしれないが)の基本的作業としてモデリングがある。興味のある対象の仕組み、構造、関係性(とくに因果性)をモデルにするのである。モデルとは何か、ということについては一筋縄ではいかないだろうから(多分研究者の間でも異論がある)、ここではそこまではつっこまない。

私が数年前から考えていることの一つに、ソフトウェア工学の分野でのモデリング技術を行動科学、社会科学に導入できないか、という目論見がある。具体的には例えば、オブジェクト指向モデリング、UMLなどを使ったモデリングの技法を、認知メカニズムのモデリングに使えないだろうか、ということだ。
このような事情から、そもそも私がUMLを勉強したのはソフトウェア製作のためではなく、認知科学研究のためだという、周囲の人々からすれば???なことになってしまっている。
この模索はもうしばらく続けるつもりです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

同じこと

Ulemanとしゃべったが結論は出ず。「すべてがautomatic」説には彼も少々懐疑的なようだ。さて


いろんなところでこれに引っかかる問題がでてきて、ちょくちょく頭を悩ませること。
「同じである」は「区別できない」と同じであるのだろうか?
もう少し丁寧に。AとBが同一である、すなわち(問題となっている性質、特徴、側面について)違いがないということは、我々が「AとBの違いを我々の能力ではどうしても見分けることができない」ということと同じであると言ってよいのだろうか?この論考に重要な点は「識別が永遠に不可能」ということである。これは人間が直接認識する能力だけを問題にしているのではない。例えば、色。色が同じが違うかを人間が自分の目で直接に見分けられる能力を問題にしているのではない。何かの装置を使ってスペクトルを測定してこの色とこの色は違う、というのも識別できるに含まれる。また、人間の発明し得るどのような道具を使ってもAとBの判別ができないとしても、人間以外の例えば何かの動物がそれを判別する能力をもっていてそれによって何らかの行動の変化を起こし、それを人間が何らかの方法で観察することによってその違いを知る、というのも識別できるに含まれる。このように、どんな手段をつかってもよい。間接的であっても構わない。さて、現実に可能なことならなんでもありを許したとしてもどうにも識別できない場合、それをもって「同じ」としてよいのか? 考えてみてほしい。
この問題の対象は、モノの認識にかぎらず、あらゆる認識対象、たとえば抽象的概念であってもよい。どんな事柄だろうが、「違いがわかり得ないこと=同じこと」としてよいかという図式にあてはめられる。つまり、これは認識上の非常に基本的な問題だということだ。

続きを読む "同じこと"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2004年7月 | トップページ | 2004年9月 »