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同じこと

Ulemanとしゃべったが結論は出ず。「すべてがautomatic」説には彼も少々懐疑的なようだ。さて


いろんなところでこれに引っかかる問題がでてきて、ちょくちょく頭を悩ませること。
「同じである」は「区別できない」と同じであるのだろうか?
もう少し丁寧に。AとBが同一である、すなわち(問題となっている性質、特徴、側面について)違いがないということは、我々が「AとBの違いを我々の能力ではどうしても見分けることができない」ということと同じであると言ってよいのだろうか?この論考に重要な点は「識別が永遠に不可能」ということである。これは人間が直接認識する能力だけを問題にしているのではない。例えば、色。色が同じが違うかを人間が自分の目で直接に見分けられる能力を問題にしているのではない。何かの装置を使ってスペクトルを測定してこの色とこの色は違う、というのも識別できるに含まれる。また、人間の発明し得るどのような道具を使ってもAとBの判別ができないとしても、人間以外の例えば何かの動物がそれを判別する能力をもっていてそれによって何らかの行動の変化を起こし、それを人間が何らかの方法で観察することによってその違いを知る、というのも識別できるに含まれる。このように、どんな手段をつかってもよい。間接的であっても構わない。さて、現実に可能なことならなんでもありを許したとしてもどうにも識別できない場合、それをもって「同じ」としてよいのか? 考えてみてほしい。
この問題の対象は、モノの認識にかぎらず、あらゆる認識対象、たとえば抽象的概念であってもよい。どんな事柄だろうが、「違いがわかり得ないこと=同じこと」としてよいかという図式にあてはめられる。つまり、これは認識上の非常に基本的な問題だということだ。

色を例に出すのはまずかったかな・・・。何かと悶着の多いネタだからなあ。
しかしだね、同じと思っていても違うもの、というのを我々が信じることもある。別に懐疑論に持ち込もうってわけではないのだが、懐疑論を避けるためには理屈のおかしなところをリストアップしておかないといけない。そして私の考えるたいていの問題で私は満足の行くそれができていないのだ。だからいま「保留」している。保留だ。これは不可知論に署名してしまったわけでもないし、また、中道主義でもない。

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