« NO BORDER | トップページ | 自走式掃除ロボット »

私は二重過程論者ではない

私は二重過程論者ではない。
ウェブサイトの紹介文に「直観的/分析的処理の区分と相互関係」なんて書いてるから(アレ漢字間違ってる)、そうだと思われているようだ。はっきり言っておこう。

ここしばらくの認知心理学の主流にある二分法的区分――ここで私が指しているのは、最近ではStanovich、もう少し戻ればEpsteinやSlomanやEvans & Overが出しているような説――がいわゆる二重過程論であるとすれば、私はそのような意味での二重過程論者ではない。つまり彼らを支持しない。かといって、Cosmides & ToobyやGigerenzerを支持するわけでもない。私が彼らの研究を熱心に調べているから(一部はwebにも流れている)、支持者だと思われているようだ。
ここで支持しないと言っているのは、全面的には支持しないという意味で、彼らの言説がすべて間違っていると言っているのではない。部分的には支持できるところもある。しかし、理論上の大事なところや、そもそもの全体的なperspectiveが私と彼らでは違うように思う。

二重過程論はいろんな表記がされている。
二重?(過程|システム)(論|理論|モデル|説|仮説)
英語だと
(two|dual)[ -]((process(es)?)|(systems?)) (theory|model|hypothesis|view)
よくあるのはざっとこんなところだ。これらでたいてい同じものを表そうとしているのだが、この表記上の違いは重要な違いであることがある。私も昔は二過程理論だったり二重過程理論だったり二重過程モデルだったり訳が定まらなかったが、最近は区別して使うようにしている。(何についてなのかが文脈的に怪しいときは前に「~の」が付く。)
これらの違いがどう本質的な違いなのかは別のところで書くとしよう。ここで私が指す対象としては典型的にはStanovichの説を想定してもらうのがよい。

そう、これは主流のようなのである。JDMの大会にはDual Processesというタイトルのセクションがあるくらいだ。もはや認知/社会心理学の小さな分野を説明する一理論ではない。どんどん一般化されている気がする。(これは90年代後半の展望を思い出しているだけ。)
時代はdual processes万歳で、なんと最近あのKahnemanもこれに加わってしまった。2002年に本を読んだ時はびっくりしたものだ。彼はもっと違うperspectiveを持っていると(勝手に)信じていたのに。これは残念なことである。Tverskyが生きていたらYesと言わなかったんじゃないか?(また勝手な想像。)

私は二重過程論者ではない。私のことをよく知っている人はおわかりかもしれないが、私はReynaの言うような意味に近い直観主義者である。(FTTを完全に支持しているわけではない。)Haidtの言う直観主義ともちょっと違うが、これはまたReynaのとは違った側面で私のと近い。二重過程論者でないのはintuitionに偏重しているからである。intuitive processとanalytical(deliberative) processが並列並存だなんて考えていない。むしろdeliberative processに関しては消去主義的である。
私は直観主義的人間観を前面に押し出すので、極端な話、我々の認知はall is intuitionだと言ってしまう。もちろん、これはあまりに極端で性急な結論なので、これでどこまで行けるのかを模索しているというのが現在の研究の幹である。アナロジカルにいえば、ある面ちょっとconnectionistの歩き方に似ているかも。
私が上に挙がったような進化心理学者と一線を画すのは、私がdeliberative processを説明しようと努力しているからである。つまりrationality2は捨てないのである。むしろ進化的基礎付け(なのか?)には素朴rationality2観を説明することを期待している人間である。

これで疑いは晴れましたでしょうか?

|

« NO BORDER | トップページ | 自走式掃除ロボット »

Δ 心理学の諸問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/26863/479023

この記事へのトラックバック一覧です: 私は二重過程論者ではない:

« NO BORDER | トップページ | 自走式掃除ロボット »