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2005年1月

感情

明日から国際シンポが開かれるということで、先立って感情affectに関する私の見解を書いておこうかと思う。
そもそもaffective scienceなるものが一体何をするのか、何をしたいのかが私には理解できないのですが、それはさておき・・・
認知科学において感情というタームを接触させる場合には、感情とは常に何らかの程度で存在するものだ、という見方がよいと私は思う。つまり、生起してたりしてなかったりするような類のものとは考えない。24時間いつでも何らかの感情がわれわれの内にある、ということだ。これはどれくらい正しいだろうか(そいつを感情と呼ぶべきかどうかも含めて)。
感情を研究する人はほぼすべての人がconsequentialな感情が存在すると考えているかと思うが、一部の人はそうでない感情も存在すると思っているかもしれない。また、感情の主観的側面が行動規定に関する機能を持つと考える人もいれば、それは副産物で機能はないと考える人もいるだろう。もちろん副産物だけど別の機能が生まれている、みたいなことを言う人もいるかもしれない。全体としてのシステムだから個々の機能は議論できない、なんていう意見はとりあえずよけておこう。これらの立場の区分がどれくらい明確になるだろうか。あんまり期待していないけど。
ちなみに今の私の立場をこれに照らして言うと、感情は常にそこにあるタイプの内部状態(特定の状態だけを感情と呼ぶのではない)と考えるのがよいと思われるからconsequentialではなく、その内部状態は行動規定システムの一部だけれども、主観的側面はそれを生み出すものとは別の機能を持って存在しているかもしれない(そうでなければ機能はない)、という話になる。主観的側面はconsequentialだと言っている。そしてそのcauseに感情という名前をつけてしまっている。へんな話だ。こういう単語の違和ってどういうタイミングで直すのがよいのかなぁ、他の分野でもそうだけど(直すべきかどうかは別ですよ)。
なにはともあれ、通俗心理学ではわれわれの中に生じるとされる感情なるものにどのような機能があるのかないのかを調べるのが認知科学的にはまっとうなやり方に思われる(たいていはあると信じているようだけど)。個々の事例的内容ではなく、このレベルにもっていかなければならない。
事例的内容について言えば、言語表現は多様なのだけど、それを"感情"だとひとくくりにしようという時点で共通な何かを仮定しようと試みているように見える。しかし、それは何なのか?に答えようとすれば自ずと上記のような方向に導かれるのではなかろうか。あるいはそうでなく比喩的なつながりしかない、などというのであれば、そもそもこのようなシンポの意義はどこにあるというのか。
ともかく、私は感情をこのようにとらえるので、"感情的"ケースをピックアップして実験に使ってそれで"感情を調べている"見たいな主張をする研究は私とは馬が合わないということだ。
まさに主観性保守主義と対立しそうに思われる意見だが、果たして彼らは何と答えてくれるのだろう・・・。

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麻酔薬

今回の冬季休暇集中課題のひとつは麻酔薬の勉強でした。
特にthiopental sodiumthiamylal sodium、 propofol、midazolamなどなどについて。Saved Ravonalも再認識できた気がします。
毎回休みのたびに何か新しいものを習得していますが、今回はあんまり計画的じゃなかったな。まあ多少知識は増えたでしょうか。

ところで、ベンゾジアゼピン系薬物は某ビデオゲームにもアイテムとして登場しますが(ゲーム中では狙撃時の手の振動を抑える効果を持つアイテムとされている)、ゲームだからこそ、ガンガン飲んじゃっても副作用も何もでません。。さすが。

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