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予測と記述

以前に、私自身の珍しい(一般的に普及しているとは思えない)科学観あるいは「科学」語観を書いたが、それについてメモを追加しておこう。

「科学」の語源と「楽知ん」 - 楽知ん研究所
「科学」と「技術」、「科学技術」について - 21世紀の社会と科学技術を考える懇談会

それぞれのページにある「科学」や他の語の定義、語源の解説はおもしろい。

さて、先日の酒の席での議論の中でふと疑問になったことは、科学的たることの要件として
a) 「対象の振る舞いの予測を目指す」
b) 「対象の現状の記述を目指す」
それぞれが含まれるかどうか、という点だ。(どこかにも書いたが、実証的学問である限り、明らかにされる研究対象とは客観的対象である。)
ここで問題となっているポイントを明確にすると、第一に、現状の記述は予測の礎になりうることから、もし a) が含まれるなら b) は有効な手段だが、b) 無しに a) が可能な学問がありうるならば、それは科学的学問と呼んでよいか、ということである。
第二に、サイエンスが「知」であるからには記述を要件に含めるのはまともに見えるが、それを「現状」に限る必要があるか、すなわち、純粋に過去の事象だけを記述する学問(そこでの過去の記述は現状の記述をその先の目標としていない)を科学的だと言ってよいか、ということである。

簡単にまとめると、「予測は必要か」と「記述は必要か」が問題とされている。
ここで「現状」しばりを外した次の要件候補も追加しておこう。
b') 「対象の記述を目指す」

この問題に対する結論は以下のパターンのどれかになるだろう。
1) a) と b) の両方が要件である
2) a) と b') の両方が要件である
3) a) だけが要件である
4) b) だけが要件である
5) b') だけが要件である
6) a) も b) も b') も要件ではない

補足すると、1) と 2) と 3) はともに予測を要件としているが、これらの違いは記述に関するもので、1) は「予測に加えて現状の記述が必要である」、2) は「予測に加えて記述は必要であるが現状を記述するものでなくてもよい」、3) は「予測だけでよく、記述は必要ない」という主張になる。4) と 5) はともに予測を要件とせず、記述だけでも科学的だと言ってよいとするが、 4) は「現状を記述しようとしなければならない」と主張し 5) は「現状に関せずともとにかく記述を目指せばよい」 と主張していることになる。6) は「科学的学問たるためには予測も記述も必要ない」という主張だ。

前にも書いたように、科学とは科学的弁証法がそのコアであると私は言っているが、この問題はそれに加えて、何を目指すかが学問の科学的か否かを左右するのか、というものである。もし 6) 以外の結論に至るならば、科学的学問は科学的弁証法以外にそれを特徴付けるものがあることになる(もちろん 6) であってもそれは消えるわけではないが)。

説明の研究をしている私としては、これは科学者の行う学問的説明が日常場面での説明的活動とどのように違うかという問題にも関わっていて、非常に興味深いものである。説明研究の中では、人が説明という行為をする理由として「将来の予測」以外のものが提案されている。その中には「将来における理解活動に関する功利」も挙げられている。これが予測と独立のものであるかも私にとっては微妙だが、とにかく、科学(心理学も含めて)は記述と予測が目標だと大学の授業で説かれている現在、本当にそうなのかについてはまだ議論が足りないのではなかろうか。

ちなみに私自身の立場は、日本の教育の成果として 1) であったが、最近 6) の可能性を考えている。(ただ、残念ながら、6) では今の学界では通用しないだろう。)

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