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理系文系

よくある分類だ。学問を二分するとはなんと安易な・・・。

それはそうと、究極を求めるのが大好きな基礎研究者さんたちに降りかかる「もっとも基礎的な学問は何か」問題がこれと似たような図式になっていることをだいぶ前に発見した。
典型的には

 物理学 => 理系
  哲学 => 文系
     ↑
  論理学、数学
こんな感じ。 madな自然科学者はこの世の出来事はすべて数学と物理法則で記述できると思っている。これこそが究極だ、って感じで。 一方、(私は違うと思うけど)文系に分類される哲学者は、それこそ伝統的には、自分たちが人類の全知識の基礎付けをやるんだと意気込んでいる。現象主義なんてのもあったりして、物理学者、もとい、唯物論者と対立すること多し。 論理学者と数学者は、世界の認識の究極とは別に(それ以前に)、道具立てを提供しているということで、自分たちが徹底した基礎だと思っている。

例文を挙げて終わろう。
物理学者「物理学はこの世界の法則を記述するのさ」
哲学者「でもそれをやっているのは人間だろ。所詮われわれが認識できるものといえばわれわれの主観でしかありえない。客観なんて証明できない。この世界のすべては私の内で作り上げられているようなものだ。世界は私の心なんだよ」
物理学者「心は脳神経の活動によるものじゃないか。神経科学も自然科学、結局神経の働きは物理法則によって決まっている。だから心だろうがなんだろうが物理学さえあれば十分なのさ」

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