« 優生学 | トップページ | 一貫性 »

フィッシャー派

何度かここで統計的検定に関することを書いたけど(「5%」「帰無仮説の棄却」)、結局こういう疑問はネイマン-ピアソン流(あるいはその雑種)の理論にのっかろうとしないから出てくるんだよね(一様最強力検定とか無視)。
フィッシャーはp値に関してはベイジアンに近い考えだと思うんだけど(というかlikelihoodist? 事前確率は否定するので)、私の立場ってかなりフィッシャーに近いと思う。
「科学的探求としては仮説は正しいか間違っているかだから、この仮説が正しい確率は何%、とかいう表現には抵抗がある」というのもわからなくはない。そういう立場をとるなら、フィッシャーのやりかたはまともだと思う、ネイマン-ピアソンよりは。少なくとも科学的探究に適用するということであればね。
理論から外れるデータが出たらそこで次の理論の模索をはじめる、というのは探求の進め方としては悪くない。かたや、対立仮説なんてものを立てるのはおかしい。そもそも何を指すのかがわからない。ベイジアンな場合も、比較する仮説がすでにある、というのは科学的探究においてはそう多いケースではないし、residual hypothesis なんて設定したらそいつの条件付確率にどうやって言及するのか。尤度「関数」にするしかないのでは。
「統計学的には仮説の否定しかできない」というけれども、それは統計学の問題ではなくて、実証的学問一般の問題だ。反証を示す具体的証拠が出ないなら暫定採用しましょうというポパー的なやり方以外に、どうやるというのか。フィッシャーはいきつくべくしてあの仮説検定の考えに至ったように思える。
モデルの予測する値から大きく外れていればモデルは修正する必要がある。外れの大きさが問題なのだから、外側に積分するのもそれなりに理由はつけられる。しかしそれにしてもデータの発生確率は仮説の吟味を促す1つの情報に過ぎず、また、どれくらいのズレが許容されるのかというのも分野によるのだから、effect sizeが確率よりも重要なのは言うまでも無い。

信頼区間はその後の発展として有益なものだと思うので、これについてはまた今度書くことにしよう。

|

« 優生学 | トップページ | 一貫性 »

Α 科学の諸問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/26863/479081

この記事へのトラックバック一覧です: フィッシャー派:

« 優生学 | トップページ | 一貫性 »