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帰無仮説の棄却

先日書いた内容にある「もうひとつのおかしなこと」について。

「帰無仮説が真ならこの値を得る確率は5%以下でとても珍しいケースが発生したことになる。よって帰無仮説を棄却しよう」のどこが不可解なのか。1つ目は前書いたように5%区間の決め方だった。もうひとつは、なぜ発生確率5%以下のデータを得たことから棄却につながるのか、というこの論理の肝の部分。すなわち、背理法もどき。
例えば、計算の結果、p = .008 (0.8%) だったとしましょう。普通だと(一般的な研究者がやることを見ていると)これは「1%水準で有意」と論文中に書かれるわけで、このp値がコンピュータのモニタ上に現れたのを見たときには万歳三唱が起こるような事態だよね。
前述の区間の問題を保留しておくと、たしかに0.8%というのは帰無仮説のもとではレアケースと言える。しかしこれは、帰無仮説が真であるとした場合のそのデータの発生確率だ。つまり Prob( D | H0 ) = .008 なんです。
さて、「帰無仮説は棄てて対立仮説を採ったほうが合理的」と言えるのはどんなときか。そりゃあ、帰無仮説が真であるよりも対立仮説が真である可能性のほうが高いときでしょう。すなわち Prob( H0 | D ) < Prob( HA | D ) のとき。
では、Prob( D | H0 ) しかわかっていないのに、なぜこんな判断ができるんでしょうか?
たとえ事前確率 Prob( H0 ), Prob( HA ) が決まっているとしても、Prob( D | HA )、すなわち対立仮説のもとでそのデータを得る確率、が不明なんだから、どうしようもない。それどころか、通常、検定を用いる場面というのは、事前確率は怪しいものだ。ここで例の点仮説の問題が挙がってくるんだけどね。
ということで、たとえ p = .008 だからって、それだけでは帰無仮説を棄却する理由にならないわけですよ。
どうなってるの?そこんところ。

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