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優生学

この文章は優生学をある面で支持している。論理的考察であるので、感情的議論を差し挟むことなく読むべし。それができそうにないなら読まないほうがよい。

世の中には悪しき学問とかペテンとか呼ばれた"負の学問"がいくつかある。優生学しかり、錬金術しかり。
優生学は論理的である。その主張することはそれなりにまともである。たしかに、進化論と遺伝学の成果によれば、それなりの処遇をほどこせば人類の形質変化を多少なりともある方向に傾けることができるかもしれない。子孫がある形質を持つ可能性を増やすことができるかもしれない。肉体的形質のみならず、人間の高次精神的技能(らしきもの)がどれくらい遺伝に左右されるかはわからないが、これについても、他の種の例から考えると、それが不可能であると断言することはできないだろう。論としては決定的な不具合はない。
従って、優生学はその学問としてのロジックを根拠に否定される見込みは高くない。科学者としては比較的まともなことをしている。これはノーベルがまともだというのと同様だ。そうして省みると、優生学は冷遇されすぎである。

たとえ、人間の形質の変化をある方向へ導くことができる、としても、それをして何の意味があるのか、という点は別の問題である。これは厳密に言えば優生学の外なのである。正当な意義を主張して、実践としてこの学問の成果を適用すればよい。私にはそんなことをする(子孫の生存可能性を意図的に操作する)意味がまったくわからないが、意味があると言う人はやればよかろう。これは問題ない。これを否定すると、同じ理由で医学の適用を否定することになる。
私は現代日本医学のかかげる生命倫理も理解できないが(だからこそ医者にならなかったのだが)、一人の人間の意見で他者の行いを縛ることなどできないので(自由主義のもとで許される範囲に医学的処置は入っていると私は認める)、望む人は望むようにすればよかろう。これは優生学にもあてはまり、優生学だけ差別を受けるいわれはない。優生学はそれ自体、虐げられるべきものではないのである。その成果を適用した結果、誰かにとって不満な事態に至ったとすれば、その人が非難すべきは適用した人の行いである。優生学を発展させた人間ではないし、(我々の法と思想のもとでは)その人にとって関係のないところでの優生学の実践ですらない。

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