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認識の限界

人間には認識できるものとできないものがある。
もし人間がなんでも認識できるなんて思っている人がいたら、それはまったくの誤解だと言える。
世界は人間がぜんぶ認識できるほど小さくはない。

人間の認識の網にかかるには、その事物が人間の感覚となんらかの共変関係を持たなければならない。そうでないものは認識できない。共変関係は直接の因果関係である必要はないが、認識とは比較なのだから(「比較と認識」を参照)、世界の差異を知る材料(=共変)がなければ、それは全でありかつ無である。

認識の限界というのは永久不変な境界線なのではない。それは時間経過とともに変化しうるし、現実に人間に認識できるものは拡大の方向に向かっているように思われている。現在は認識の範囲外にいるが将来は(宇宙的な年月で)認識の範囲内に入ってくる事象もあるかもしれない。

さて、人間の認識できないものが存在するとどうなるのか。早速に答えてしまうと、どうにもならないのである。人間に関与しないものは存在しても問題にならない。何か困ったことが起こるとすればそれは人間に認識されているのであって、人間の認識範囲外の存在者がどのようであろうが人間にはどうでもよいのである。

人間がすべてを認識できると思うことだけがただ間違いである。

これすなわち、認識限界がどのように変化しようとも人間の知りえないことが常に存在するという、動的な不可知論であり、不完全性世界論である。

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