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時間知覚

人間には確実に体内時計が存在する。

驚くほどのことでもない。
そうでなければ時間知覚などできないのだから。
ここで言う体内時計というのは、時間を知覚するときのモノサシという意味である。それがどんなものかについては今のところ実証的証拠は無いに等しいけど。このモノサシと比較して(=体内時計を基準に)、どのくらいの時間経過なのかを感じるのである。
この点はまさに「比較と認識」において述べたことと同じ。基準がなければどうしようもない。しかもこの場合、五感の土俵に乗せられるような比較ではないので、精度もわかりようがない。五感どころかすべての感覚に密接にリンクした土台が時間知覚であるから、この議論はある意味、的外れかな。意識の世界は常に(内的)時間認識の線路を走っている。なぜだかはまだわからないが。
さらには、モノサシがゆがんでいても知りようがない(これは他の認識にも共通だが)。

その時計はおそらく体内物質の乗っかる物理的な時間系に依存しているであろう(単なる推測)。
もしその体内物質の時間系と体外の時間系が同一でなければ(そんなことがあるとすれば)、場合によっては困った時間知覚をしていることになる。まあそんなことは考えても無駄だけど。
そして、その系に依存しているからこそ、逆方向には進めない。

昔、「この世界には時間があるという認識(=時間知覚)と意識は表裏一体だ」と言った事があるが、それを聞いた人はその真意をおそらく理解していないだろうなあ。
時間知覚が意識と関係していることは上記にもあるとおり。時間が流れている「感じ」がなければ、時間がわれわれの言及対象となるはずがない。時間知覚のない生物はありうるだろうが、その生物は時間を「知らない」。物理的「変化」というのは時間軸があるからこそ言える話なのだが、生物が変化にいかようかは問わず対応する(因果関係を持つ)のは時間知覚がなくても可能である。システムがそうなっていればよいだけ。知覚はそれとは別の問題で、だからこそこれは認知科学において意識の中心的問題と似たような、というかど真ん中の、特徴を持つはずなのだ。
逆に、意識は時間知覚がないと成り立たない。というか、意識とはそういうものだ。時間的継続に基づかないものは意識とは呼ばない。そこに意識がある、とわれわれが言う場合、その人は時間的継続の認識を持っていることを含意している。例はすべてとても当たり前だが、たくさん挙げることができる。たとえば、さっきの私と今の私は同じだと思っている、とか。こんな当たり前のことを考えていくと、時を知らない意識がありえないことが分かってもらえるだろう。意識とはそういう概念だ。
こうして見事、意識と時間知覚は切り離せなくなる。つまり片方だけ持ってもう一方は持たない個体はありえない、と。

時間軸上の移動なしに意識を認められるかどうかという問題はまた別である。スタープラチナが能力を発動させたときのように、時が止まった世界を考えてみよう。そこにはモノは存在するだろう。われわれは物体というのをそのように考えている。人を構成する物質ももちろん同様。しかし、そこにいる人型のそれに意識があると果たして思っているだろうか。これが時が止まった世界での意識の問題。時間知覚のほうの問題は、時間軸上を移動している場合に移動しているという認識のない意識がありうるかということだ。

「おまえは同一性問題と意識を同一視している」とつっこまれるかもしれない。たしかに意識にはいろんな側面がある。もちろん、経時的同一性の認識を欠いた意識なるものもありうるのかもしれない。でも、それって何?少なくともわれわれの知っている意識とは別物である。で、それをわれわれは(言わば間主観的に)認めようがない。つまり、「認識の限界」で述べた「知りえないこと」である。要するにそれを意識とは呼べないのだから、時間知覚を欠いたものの意識は意識とは呼ばず違う呼び方をするほうがよい。で、時間経過を知ることを意識の要件に入れる、と。

脳の損傷か何かで、時間知覚ができなくなった人って実際にいるのだろうか?時間知覚の物理的基盤はまだ明らかではないので、時間知覚は不可分かもしれないし、そんなことが可能かどうかわからない。仮に可能だとして、もしそういう人がいれば、私の言っていることがすぐにわかってもらえると思うのだが。そういう人はもちろん、人間的ではない。すべての認識はバラバラになる。過去と現在が同じテーブルにつく、とかいう話ではない。それはすでに記憶理論に乗ってしまっている。バラバラというのは、現在がわからない、ということだ。言うならば、知覚が崩壊する。

時間知覚が、単一のシステムなのか、モダリティ固有システムの集合なのかはまだわからない。まあしかし、先のように時間視覚と意識は切り離せないので、時間知覚がモダリティ固有なら、意識もモダリティ固有だと考えてもよい可能性が出てくる。絶対にそうなるというわけではないが。

まあ、どういうことだか、われわれにはKantが挙げたようないくつかの根本的な直観があって、時間もそのひとつで、こいつは困ったことにわれわれの心的世界を覆い尽くしている。

時間なしに心はありえない。
心を認めるなら、時間を知ることも認めなければならない。

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