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「心の理論」研究

昨日ある院生が研究室で「『心の理論』研究者が『心の理論』使ってていんですか?」と言っていた。発言の要点は「心の理論」研究に内在する再帰構造にある。
「人々が『心の理論』を持っている」という学者の信念がまさに心の理論を適用していることになっているのであって、その院生の心配はおそらく、「それでは『心の理論』を検証していることにならない。循環論になっている。研究者にとって、どうやら、心の理論は検証対象ではなく、心の理論の存在は前提されているものだ。」ということだ。

この話の構造を注意深く見てほしい。

そのような再帰構造は、認識論的な事柄に関わる話ではよくあることだ。「心の理論」研究に特化された特徴ではない。循環論的な構造もよく見られる。
ただ、循環論がすべて悪いかというと、そんなこともないと私は考えている。循環論であるというだけですべてを否定するのは性急だ。まあ、この場合は循環するのはまずいので、なにかツッカエ棒が必要になる。
ほかの再帰構造を持つ例を考えてみてほしい。たとえば「意味」とか。それらの概念をすべて否定してしまうと、いったいわれわれに何が残るというのか。つまり、人の認識に関わる研究をするためには、いくつか前提が必要なのである。一種の公理系と考えてもよい。それなしにはおそらく何もできないであろう。そういう訳で、「心の理論」研究者は、いやそれだけでなく現代の多くの心理学者は、「心の理論」をこの前提セットに組み入れることで、この問題を回避する(ことができる)。
もちろん組み入れない学問も可能である。そして、公理系に立脚する学問の基本的ドグマとして、公理はできるだけ少ないほうがよい、という例のアレがある。よって、「心の理論」を前提に入れる研究者は、それが前提されなければならない理由に関して正当化しなければならないのである。
まあ、実際そんな話を心理学者から聞いたことは私は一度もないのだが。

どうも特に日本のふんぞり返っている心理学者たちというのは、海外で認知革命が起こって以後フヌケになったのか、その意味をよく理解していないのか、こういう点でまったく議論ができていない。そんな人たちに習う学生もかわいそうだ。


ところで、私は「心の理論」という語ではなく「通俗心理学」を好むんだけども、先日、これまた別の院生(「心の理論」を専門にしている)に「『心の理論 theory of mind』と『通俗心理学 folk psychology』ってどう違うの?」と聞いたところ、「そんなの(そういう難しいこと)聞かないでください」だって。およよ。

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