« 故意の極論 | トップページ | 進化は論理、合理性は? »

心の統一科学をめざしたいなら

今年もまた学会ネタシリーズ。

初日は「心の統一科学をめざして」なんて大仰なタイトルのシンポに期待して足を運んだんだけど、ぜんぜん面白くなかった。知っていることとあたりまえのことを眠たく唱えているだけ。学部生向けの授業よりひどい。
まだマシだったのは最後の二人、安西さんと宮下さんかな。それも、内容ではなく話し方としてだけど。内容としておもしろかったのは西村さんのホメロスとピンダロスの話くらい。

結局、私が依然書いたところの「心学」を目指そうというのだろうけど(シンポやCOEプロジェクトの意気込みとしてはね)、統一的な方法論を考える、なんて言うときに、「心」を何とするかがみんなバラバラだから、何にもまとまらない。
心らしきものについてはこんなに長い学問の歴史があるのに、断絶を乗り越えて統一したいなら乗り越えるべきが何なのかをどうして理解しないのか?

心とは何かを考えるのにヒトはたくさん時間を使ってきたけど、何と考えるかに多様性があることはわかってるんだから、統一したいならその溝を埋めなされ。少なくとも私にはそれらの多様すぎる「概念」を統一するのは荷が重いと思われるがね。
概念が別種でも方法論が同じってことはあり得るだろう、ものによっては。しかしながら、ちゃんと勉強している人ならわかるように、これまでに提唱されてきた様々な心の概念はすべてを同じ方法論で研究できるものという見込みはとっても薄い。
んでこのタイトルだ。「統一科学」。すでに科学的方法論を取るって決めてるじゃないか! おいおい。これだけでもう反論が来そうだよ…。
つまるところ、「心理学の成功と心の概念の自己限定は表裏一体」(シンポジウムの概要より)という文句から察せられるように、この人たちがやりたいことは方法論の統一ではなく概念の統一ではないのか?

心の定義を提出せよ。
そうすればおのずと見えてくる。行動主義心理学者は(ある意味)そうした。
「それが最終的な目標なのであって、それは予めすることではない」と反論するなら、予めすることを明確にせよ。そうすれば暗中模索からは抜けられる。しかし、心の定義を一切抜きにして予めすることを決めると、そこから心の定義が形づくられてしまうことがわかるだろう。それでよいならそうすればよい。ただし、誰もが納得するわけではないものができあがることは想像に難くない。
そう、素朴な心の概念を抜きに「心学」の研究は語れなさそうではあるが、それは探求の範囲を毎回厳密に絞ることとは別である。概念をしっかり明確化することが実質科学的な進展につながることは科学者なら誰もが身に染みているはずで、そこで行われる概念の限定を狭窄と考えるのはおかしい。永遠にそれしか探求しないというわけではないのだから。

ただひとつ、いつも私が言っているように、概念をどこに着地させるかで、それを研究するために原理的に取れる方法が限られることを忘れてはいけない。

|

« 故意の極論 | トップページ | 進化は論理、合理性は? »

Δ 心理学の諸問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/26863/479111

この記事へのトラックバック一覧です: 心の統一科学をめざしたいなら:

« 故意の極論 | トップページ | 進化は論理、合理性は? »