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構成概念と素朴概念

今年の日心の中では、WS「“動機”概念の再検討」がかなりよかった。さすが村山さん。お疲れ様です。

これに触発されて、心理学における構成概念constructについて持論を述べてみる。
WSでは動機が扱われたので、私もこれを題材にしてみよう。

心理学では、建前上、構成概念は観察可能な現象を説明するために措定されるもので、実在性は問題にされない、となっている。すなわち、それが現実には存在しないものであっても、それを導入することで説明が上手くいくなら、理論の構成要素として認めましょう、ということだ。
で、この「動機」とか「思考」とか「記憶」とか「情動」とか「意識」といった心理学理論に登場するほとんどの概念は構成概念とされている。
するとこれらは「実在しなくてよい」とされているということだ。
果たして、皆さんはそれで納得するか?市民だけでなく学者の皆さんも含めて。
記憶や意識は「実在しなくてよい」のだよ?
まあ自分に正直な人なら納得しないだろう。

よくよく立ち返ってみると、市民は、われわれが日常的に動機とか記憶とか呼んでいるものを説明してくれることを心理学者に対して望んでいるわけだ。
そして心理学者も構成概念を導入するときにこのような通俗心理学的概念をベースにしている。そうでなければ「動機」なんて概念が行動理論に入り込む余地があるはずがない。
要するに、日常的な心的概念が説明されることがひとつの目標であり、行動が説明されることももうひとつの目標であり、これらを両立させようとがんばっているのが現代の心理学者なのである。
よって心理学における「動機」などのいくつかの構成概念(すべてではない)は、先ほどの建前を遵守できない。純粋に、観察可能な現象(行動など)の説明のための必要性の観点のみから導入されたものではないからである。
したがって、そこにおいて「構成概念だから」と実在性の検証から逃げるのは間違っている。

そして実のところ、心理学における構成概念は(実在を信じられている)素朴概念を切り離してはほとんど解釈できない。思い浮かべてみてほしい。心に関するわれわれの直観的な観念を認知科学的な探求の場からぬぐい捨てると、いったいどれほどのものが残るというのか。例えば、日常的な心的概念と結びつけにくくするための簡便な方法として、理論的な用語を定義はそのままに無意味綴りに変換してしまっても、今ある心理学的理論はまったく同様に理解されるだろうか?
素朴な心の概念を探求の場からぬぐい捨てたのは行動主義である。しかしそれは素朴な心的概念だけでなくシステムの内部を説明する概念のほとんどすべてをぬぐい捨てた。それはやり過ぎだったと立ち戻ったのがいわゆる認知革命である。だが呪縛からはそう簡単には逃れられない。われわれは何もないところから何かを考え出すことはできず、新しい概念であろうとも何かそれ以外とのつながりがなければならず(そうでなければ「理解」できず)、こと、人間の行動システムを説明するにおいては素朴な心的概念がつながってしまいやすいようだ(つながるのがそれでなければならない必然性はないのに)。

これは心理学のみに特有の問題ではない。物理学でも生物学でも同様の問題は存在する。なぜなら、われわれはこれらの学問が扱う眼前の出来事について素朴な直観をもってその認識にあたっているからである。それ(素朴概念)をベースに、それをどんどん改訂していくかのごとく、研究は進んでいく。しかし、今になっても、発展した物理学においてさえ、素朴概念はすべて駆逐されてはいない。なぜならそれは不可能だからだと私は見ているが、とにかく実態はそうなのだ。
もちろん、純粋な構成概念(実在性を問われない、あるいは否定されているもの)もある。説明上の有用性のためだけに生き残っていると見なせるタイプのものだ。そういう概念のいくらかは、要素の集まりが創発的特徴を生み出す系に関しても見られる。

しかし、ここで最初に取り上げた場合においては、すなわち心理学の構成概念の多くにおいては、それはまず素朴概念ありきで出発しているので、「実在しなくてよい」と簡単に片付けることは難しい。素朴人はそれが実在すると思っているのだから、このことに言及した明確な説明が必要だ。この説明をきちんとしている心理学者もいるが、心理学界全体として整合が取れているとは言い難い。
まあ、この素朴概念とやらも「構成されている」と見る人もいるのだが、どっちにせよ、日常的な心的概念と直観を説明することへの要求を、明示的にではなく「暗黙的に」退けてしまおうというのは、誠実な態度とは言えない。それが原理的に説明できないとするならそれを明白に言うべきだし、そうでないなら説明対象に入るはずだ。

心理学者は「意識」や「動機」や「記憶」が「実在しなくてよい」と考えているなんて言ったら、市民だけでなく神経科学者や哲学者などの認知科学同業者もびっくりするだろうよ。

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