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2005年12月

哲学素養の必要性

有名な本を書く人はみんないわゆる哲学を勉強している。文系でなくても。そして、自分の哲学を持っている。それが文章の中ににじみ出ている。

これはきちんと本場の専門書を読んだことのある人なら、どんな分野でも、誰もが同意することだろう。
じゃあなぜ自分は勉強しないのか?

一生そんな本を書くつもりはないということ?

あきらかに、優れた研究には哲学的素養が必要なことはわかってる。院生教育、研究者養成を前面に押し出してても、どうしてこれをカリキュラムに入れないのかねぇ。
不思議だ。

哲学書を読んでる院生も珍しがられる。
不思議だ。

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手際

「手際がよい」とはどういうことか。

われわれは、ある作業をするのに自分ならどうするか(あるいは典型的にはどうするか)の手順とそのスピードのシミュレーション(のつもり)などにもとづき、他者(あるいは自分)の手際を評価する。
つまり、比較基準があって「手際」は評価されるのである。
そして、この比較基準は、人によって異なり得る。少なくとも人類皆同じということはないだろう。だから、手際がよいかどうか、は非常に個人的な評価である。
ある人が別の人の作業を手際がわるいと思ったとしても、また別の人はそれを手際がよいと思うかもしれない。

そしてこの比較基準がどこから来るかというと、社会心理学ではおなじみ、projectionが一役買っているだろうことは想像に難くない。
だから、「あの人は手際がよいねえ」とか「手際が悪いねえ」とかいうコミュニケーションは、実はかなり真意が伝達されにくいタイプのもののはずであり、なんとか他者の発話を自分なりに解釈するか話をあわせている程度にすぎないことが現実に少なくないと思われる。

手際の悪い人というのは自分に何かしてくれる人がみんな手際よく見えて「幸せ」かもしれない。

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発達心理学

すべての心理学はある意味、発達心理学である。
また、
すべての心理学はある意味、進化心理学である。

そんなことは、ちゃんとした人ならわかっている。これらの概念はそういうものなんだ。ある一つの次元を提供する。これらの学問を標榜していない人にとっては、それまでとは別の(あるいは独立した)次元だ。そして上の「ある意味」というのは、その次元の上のどこかに位置づけることはできる、ということだ。
だから、どんな心理学でも、発達心理学的視点や進化心理学的視点を忘れてはいけない。これは当然だ。

私だって発達心理学やりたいですよ。適当な素材と機会が目の前にあれば、飛びつくでしょう。しかし、そんなラッキーは滅多にないこと。
そしてもっと問題なことは、これらの学問が(そんな方法論的な理由で)ひたすら難しいということ。だから辛抱強くやらなきゃならない。

進化や発達の話は、機能や能力や課題による分野の限定とは別の次元、あるいはみんなが共通してもつべき認識、に相当するものだ。だから、発達心理学という特殊化を他の特殊化と同列に扱うのがそもそもおかしいし、それを専門にやってますという人の言うことはそれほど有意義さを得られない。それはそもそもその次元だけを取り扱うということに積極的な意味がないからだ。

大学生を被験者にした研究は大学生の発達研究ですよ。

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