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2006年2月

睡眠

私的予言。
今後、睡眠の研究が意識の研究にとって決定的に重要な役割を果たすだろう。

関連性は明らかなのだが、なぜかbehavioralな研究が少ない。
方法論的に難しいのがやはり原因かなぁ。

しかし、これを解明しないと意識は解明されないわけで、いつかかならずやることになるし、
逆に、これが全体像へのキーだと私は思う。実に興味深い特徴がたくさん睡眠にはある。

そういえば昔読んだDennettの論文はおもしろかったけどイマイチ意味が明確でなかったな。

考えてもらえば、睡眠のおもしろさはすぐにわかります。
人(を含むあるクラスの生物)は、どうして寝るんでしょうか?
寝ることによってどういう利点がありますか?

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メタ理論

認知科学でよく使われる、メタ理論って言葉は好きじゃない。

言葉の問題としてなんだが、 meta が合わないと個人的に思う。

理論は全体で理論。
すべて理論の一部。
だから差別しない。
区別したいならもっと別の(区別する次元が明確になる)言葉を使え。

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体験と物理状態

体験(experience)の中でも、クオリアは学者の世界での流行りである。

クオリアとは何なのか?クオリアの概略は
Wikipedia:Qualia
Wikipedia:ja:クオリア

茂木さんはこれに関する言説で有名。
The Qualia Manifesto

しかしね、これはまだ一般大衆に向けてTVでしゃべれるほどのものではないのですよ、NHKに出演している茂木さん。

それはともかく、意識体験に関する私の持論を紹介してみる。これは私の信念の中でもかなり古い。比較主義と同時期だったと思う。たぶんクオリアと呼ばれているものと関係するだろうので絡めてみる。
それと、以下は科学的証拠がすべて出揃っている話ではなく、私が自分でもっともらしいと思っている「説」であるので注意されたい。
簡単に言うと、「(私の)主観的体験は物理状態とシステマティックな関係がある」というものである。

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心理学での流行に物申す

心理学において流行した、あるいは現在流行しつつある(新しい活路だと持てはやされている)各アプローチに対する私の批判と、それでも拾える(そこだけは同意できる)ところを列挙して、私の立場が明確に伝わるための一助となることを期待する。

行動主義
いまさら書くまでもないが、システムの内的メカニズムを無視しては先に進めない。システムを改変することや、おなじ機能を持つシステムを作り出すことなど永遠にできない。環境刺激と客観的行動との結びつきが他の自然科学が扱うのとおなじ因果的関係だと前提したことは、まったく同意できるし重要。そこで調べられた外的刺激の影響力も今日以降の理論発展のための強力な手がかりになるから、研究成果には意義がある。科学が扱える範囲をわきまえようとした姿勢も良。

ゲシュタルト
豊富な現象のリストはよい手がかりになるが、統一的、予測的な理論がない。ただ事例がおなかいっぱいになるほど運び込まれるだけ。これらの現象について、メカニズムにも言及した予測力のある理論が提出できるならすばらしいのだが、まだ実現せず。力学的概念の導入はなかなか好感が持てる。

進化心理学、進化論的アプローチ
以前に書いたとおり。現代人の記述に関しては、厳密に進化ドリブンなアプローチ以外は無用だし、当の厳密なアプローチについては、証拠の乏しい現状では極細の活路しかない。進化論は常識的なガイドライン程度にすべし。

身体化、状況論、生態学的アプローチ
これらは当たり前なことを吹聴しているだけ。環境が、状況が、身体が重要だというのは誰も反論しない。当たり前なことを言うのは、みんながそれを信じてない場合にのみインパクトを持つはずだが、彼らが強調するように身体や状況の要因を無用だと主張した研究者など果たしているだろうか(反語)。それゆえこの種の話はほとんどアンチテーゼにもなってないし、当たり前な一側面を調べているだけで、周りから見ればまったくすごいことはしていない。往々にして大言壮語。ただ、ふつうに調べるべき事柄ではある。

質的心理学
まったく意味不明。科学的方法論をきちんと理解していないだけではないかと思われて仕方ない(科学的ではないと称するなら別だけど)。事例の記述が重要なのはそのとおりだが、それは手がかりであって、誰でも(質的心理学を標榜していないふつうの研究者でも)やっていること。その先に話を進めよ。もし「いや統計的解析もやっている」などというなら、それはもはや独特の「質的研究」ではなく、彼らが「量的」と呼ぶ研究との違いがなくなる。結局、退化したか同じところで後ろを向いただけかのどちらかだ。

情報処理アプローチ
主流。枠組みは悪くない。しかし、懸念される点がいくつか。一つ、「情報」とは何かがあいまいまなまま(研究者間で合意しないまま)進んでいる研究者が多い。なんとなく情報。一つ、システム性を考慮しないものが多い。単発のプロセスばかり考える。一つ、「処理」において計算主義的には表象の概念がキーであるにもかかわらずそこへの理論的考察が薄く力学系に尻をたたかれている。

二重過程論
流行ってきている。しかしこれは数々の心理学的証拠を丸くおさめるためのとりあえずの妥協案に見える。もっときちんと考えれば、2種類に区分する必要はなくなると私は思う。しこりとして強烈なのはやはり意識と意志。将来潰れるとしても理論的精緻化へのステップとしての役割は果たしていると思う。この論に対する私の立場は以前書いたが、私みたいに距離を置く人がそろそろちらほら現れるころかも。


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分子生物学のセントラル・ドグマ

分子生物学のセントラル・ドグマとは、不可逆性である。
遺伝暗号の翻訳のしくみの不可逆性である。

これはDNA→RNAでの話ではなく、RNA→proteinの部分の話である。
よく間違えられる。
RNA→DNAはあり得ることがわかっている。

もちろんこの不可逆性は他と同様、単なる説である。が、みんな信じている。
だからこそセントラル・ドグマである。

これが否定されると、後天的獲得形質のDNAによる遺伝をまじめに考えねばならなくなる。

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定義を探す学問

定義を決めて進む学問

定義を探す学問
がある。

いきなり学問レベルで分けてしまうとアレなので小さく行くと、
学問には定義を探すという側面と定義を決めて(何かを前提して)進むという側面とがある。で、自分の追求したいテーマはふつう探すほうだと思うんだけど、そのギョーカイで中心的なキー概念が「探す対象」と「探す前提」のどっちなのかでその学問の特徴が大きく分かれる、と。
これが上に書いた学問レベルの話。

そー単純には行かないんだけど、簡易メモ。


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四項類推

補足的資料が目に留まったのでここにもメモ。

以前に、他者の心と自分の心の関係について書きましたが、そこで四項類推の話を出しました。

(a)自動車 : (b)ハンドル = (c)船 : (d)○
○に入るのはなあに?(選択肢)

ピアジェの研究によると、小学校高学年くらい(形式的操作期と呼ばれる)に至らないと干渉をはらって類推を完成させることができないということだったのですが、
Goswami & Brown(1989,1990)によると、難しいのは (a) と (b) の関係抽出であって、それができれば3歳児でも正答できるということです。
って、関係抽出も類推過程の一部じゃん! ・・・というツッコミは置いておいて、もし四項類推説を採用するなら、3、4歳で類推ができていなければならず、この研究はそれをサポートし得ます。
しかし、他者問題の場合、子供に関係が抽出できるのでしょうか?どのような関係が抽出されるのでしょうか?3つの項の設定は実験者じゃなく自分でやるわけです。そこがそもそも恣意的だから、このような関係図式を自発的に作れるかどうかすら定かでない。自分の心とはなんぞやということを自分のexperienceだけで理解し(心の概念を獲得し)、それを(b)に入れなければならないのです。
でも、自らを省みて認識するためには、他者の想定が必要なように思われてなりません(これが解決できるといいんだけど)。心的存在が自分しかいない世界で、あえてそれを把握する必要があるでしょうか?つまりメタ表象を作る必要があるでしょうか?
パラドックスでは。

さて、どうやって解決しましょう。:-)


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JASNH

知ってるヒトは知っていると思うが、
Journal of Articles in Support of the Null Hypothesis
という雑誌がある。
こんな雑誌をわざわざ作らなければならないことが、そもそも現代の科学的学術コミュニティの風潮を表しているということ。そしてこの雑誌の存在自体が批判であるということだ。がんばって続けてくれ。

なんのことかわからない人は
Wikipedia:Null hypothesis
ここでも読んでください。
心無い学部生の私に核心をツッコまれた問題は、時をおなじくして遠く海の向こうで結実していたのである。

そうそう、null hypothesisつながりでいうと
Null Hypothesis - The Journal of Unlikely Science
コレそこそこおもしろいよ。
向こうの人はこういうのを好む人がけっこういるのに、日本にこういうのがないのはなぜだろう?? 日本人はみんな真面目ぶって研究してるのか?それともジョークのわからない鈍感バカなのか?自分たちが日々やっていることに楽しみの余地はないのか? マイルネ。。

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