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哲学との付き合い方

いつも言われて跳ね返すのだが、
そもそも哲学とはなんだろうか。そんなことは私は知らない。
むしろ、哲学とどう付き合うべきか。これには私は1つ答えを持っている。

私が「そんなことは知らない」という理由は、哲学と呼んでいるものの内包が私にはわからないので、なんとも言えない、ということである。
しかし、一方で、哲学とふつう呼ばれているものをわれわれ心理学者がどう扱うのがよいか、については、私なりの信念がある。

ずばり言うと、私の信念は、哲学を別学問とする必要性がない、というものである。
一般に哲学と呼ばれている論理的考察をわれわれの科学的学問の内容と切り分けて差別化する必要がどうしてあるのだろうか?
この切り分けに正当化を与えようとする(自称)哲学者の主張をいくつか見てきたが、どれも説得力に欠ける。いわば悪あがきだ。

考えてみればわかるはずだが、心理学者やその他の科学者が「考察」と呼んでいる論文の一部分は、哲学者(と呼ばれている人たち)がやっていることと違いがあるだろうか。いくつかの側面で量的なバラエティがあろうとも、私にはまったく同質に見える。
つまり、おそらくすべての科学的学問は哲学的(と呼ばれ得る)考察を含んでおり、それを全くしないなどということはない。それも科学者の仕事の一部である。論理的考察を当の科学者の仕事から切り離すのは無意味である。

だから、あえて哲学なるカテゴリを作る必要もない。もっと言うなら(私の希望的方針からすれば)、哲学者と呼ばれている人たちが素直に科学的学問なり何なりに回帰すればよい。そして、どこにも回帰できない哲学的主張はわれわれには要らない(趣味でやるのは構わないが)。

一方、このような考えから心理学の現状に対して何が言えるかというと、心理学者はもっと論理的考察に精を出すべきだ。考察が薄すぎる。だから、理論的発展において、哲学者と呼ばれ別学問に携わると思われている人たちの力を借りているように見える。私に言わせれば、「心の哲学」は心理学と別の学問ではない。それは心理学の作業の一部である。そして「心の哲学」的問題は、心理学理論の根っことして、みんなが考えるべきことである。
生物学でも、物理学でも、社会学でも、あるいは科学一般でも、同様のことが言える。

私は単に心理学者なのであって、蔓延している語用(誤用)に従って哲学者だと呼ぶのは勝手だが、正しくはない。
考察がいくらか哲学的と称される類のものであっても、もっぱら心理学の範囲であり、ただ単に手抜きをせずに煮詰めただけである。
心理学に携わる人よ、あなたがやっていることはまさに(いわゆる)哲学的であり、(いわゆる)哲学的論考を敬遠する必要も意義もないし、かつ、自分に哲学者というラベルを付ける必要もない。ただただ心理学者として論争に飛び込み、理論の発展に尽力せよ。

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