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社会的規範

昨日の授業で社会的規範social normsの話が出たので、ちらっと書いてみる。

社会的規範とは何か。
ある程度数の人間の行動(とくに社会的行動)に見出された一致性あるいは類似性(につけた呼び名)、といってよいだろうか。
もしこれでOKならば、その主体がどのようにその行動をするに至ったか(どういう理由で選択したか、など)はどうでもよいことになる。ただ複数の個体間に行動の共通性があればよい。この点の話は授業中にも出した。
しかし、そうしてしまうことへの違和感は多くの人が感じるものだろう。無意識にある特定の行動をしているのも、「そうするべきだ」という強い道徳観のもとである行動をしているのも、同じとして扱ってよいのか。つまり、規範と呼ぶべきものは、意識的な自覚が含意されているのではないか、ということだ。どのような行動原因でもよいわけではなく、それを規範として自覚していなければ、「規範がある」とも「規範に従った」とも言えないのではないか。そんな疑念が浮かび上がってくる。
では、(他の行動よりも)ある特定の行動をしたほうがよい、という「価値」で、かつ、それにもとづいた意図的行為をデフォルトでもたらすものを、社会的規範と呼んでみよう。(もしかすると「かつ」のうしろ側はいらないという人がいるかもしれないが、その点の話はまた後にする。)
もしこの後者の社会的規範が正しい定義ならば、授業中に紹介された進化ゲーム理論的アプローチに見られるような行動ベースの分析は、用をなさないことになる。行動でなくその背後の原因(と仮定される内的表象)によって社会的規範があるかないかを選り分けなければならないのだから、行動しか見ない方法論では社会的規範にタッチできない。
そして、この自覚的社会的規範を採用してしまうと、人間以外ではそれについて研究することが困難になるだろう。行動だけ見ていてはいけないのだから。この事情から、研究者が対象と円滑な(と思われる)コミュニケーションをとれるというただその利点のみに依拠して、「社会的規範を持つ」という点の人間の優位性や独自性が語られることになってしまってはいないか。もしかしたら他の生物も社会的規範を持っているかもしれないが、そいつらの(推定上の)自覚を確認する方法を人間が持っていないから、社会的規範を持たないと早とちりで烙印を押されてしまっているのかもしれない。

このジレンマをどう解決すればよいか。いや、実は、社会的規範という言葉をどっちの意味で使うのがよいかを決めて、もう一方に別のテクニカルタームを当てればよいだけなのだが。私としては、やはり後者を社会的規範とするのが無用な混乱を生じなくてよいように思われる。制度論的なアプローチをするにも、こっちのほうが都合がよいと思うし。
でもそうすると、やっぱり、社会性の分析にも意識的自覚が問題になってくるよね。そして、意識なしの社会(と一般に思われているもの)をどう扱うのかという問題とバトルすることになるよね・・・。
意識、自覚、行動選択、これらをどう切り分けてどう扱うか。結局この問題になってしまうのだよ。
で、私の言う「意識の社会的起源」説がでてきてループする、と。

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