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モデルと認知科学

毎度学会参加のコメント。

日本認知科学会と日本認知心理学会の合同シンポ「心、モデル、データ:心の理解をめぐって」

三輪さんのおっしゃるモデルというのは、(実際に走らせられる)計算論的モデル、という意味のようだ。
それに限定するのはどうかと思う。そのようなものがモデルのすべてではないだろう。これでは、以前にも書いたモデルの定義とも一致しない。計算論的アプローチはあり得るアプローチの1つなのだから、心の理解などという広い話のときにそれに固執してもらっては困る。
また、modelとtheoryだけでなくframeworkとそれらも区別されていたが、これは同意しかねる。どうやって線を引くのか?
ちらっと聴いたマイクロスリップの研究もそうなのだが、心理学寄りの認知科学者がやる区分は往々にして恣意的すぎる。

茂木さんはまた不確実性の話をされていたが、あいかわらず答えはないし、焦点がちょっと曖昧だ。open-endedはわかるが(途中でオープンエンドになっていた)、frame problemをどう考えていらっしゃるのだろうか。(茂木さんの言いたい)不確実性を理由に、確率モデルを否定するのは同意できない。モデルはモデルである。抽象である。確率モデルだからって必然的に切り捨てられなければならないわけではない。
ダーウィンのような革新的な概念提出が必要だとおっしゃっていた。皆さんは答えがないらしいが、私にはその候補が手元にある。ダーウィンがヴィーグル号での航海のあとの「種の起源」の発表を遅らせたのはいろんな背景事情があると言われている。意を決して発表に至った事情も。私もそれと同様。聞きたい人は個人的に接近してください。

戸田山さんはまたジェットコースターのようなことをおっしゃる。Fodorを引きつつも、non-reductiveを否定し、レベル間の制約関係を考えることを訴えられた(一昨年同様)。人間の研究としては、そのような制約が存在してそれを気にしたほうがよいというのはおっしゃるとおり。しかし、認知科学は人間科学ではない。だから、人間における制約関係は、ヒントには十分なるが、それ自体が解き明かすことを目標とされている原理の一部ではない。たぶん戸田山さんはわかっていらっしゃるが、説明がよくない。

豊田さんは今回はまったくキレがなかった。残念。最初から体調が悪そうに見えたのだが、お元気なのだろうか。

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