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主観性と科学性

おなじみ学会レポ、「社会的認知研究における「主観性」と「科学性」」。
最近よくこの手のシンポやワークショップが開かれているが、こういう話を聞くと多くの心理学者の無頓着さというか閉じこもり具合が強調されて感じる。こういう指摘は決して強調しすぎではないと私は思う。そして彼らの関心はいきなり脳科学へ行くのである。まるで一般市民のようだ。
まともに考えている心理学者(今回は唐沢さん、池上さん、竹村さん、亀田さん)がもっと増えればよいだが、応用研究者はそういうことに関心がないのだろうか。

ともかくいつもどおりコメントを。

池上さんは「社会認知研究は主観を理解することを第一としてやっている。行動の予測は二の次。」なんてことを言われた。
そりゃたしかに現状そうなってると私も思うが(社会認知研究だけに限らず)、堂々と言ってしまうのはさすが池上さんと言うべきか。そしてさらに、実学的要請に(直接)応えることを放棄しているらしい。そこまで言うか。
まあ発表は Wegner & Gilbert (2000) の紹介なんだけど、そのまま断りはなかったので、池上さんも賛同ということで問題ないだろう。それが実情なら、社会認知研究者はいったいどうやって科研費取っているんだ(いや、申請書作成スキルの問題とかいう話をしたいのではなく)。
また、池上さんは、社会認知研究者が脳科学に行くのは賛成しないとおっしゃった。これは私も賛同できる(私と理由が一致しているかはわからなかったが)。

戸田山さんは、「データの主観性」に関して2種類の主観性を区別されていた。私なりに言い換えるなら、これは「観察者が報告することの非客観性」と「データに反映される主観性」の区別である。
前者は、(外界の)観察が客観的と言えるどうかの話で、観察対象には関係ない。物理学で扱われるような研究対象であっても、この意味の主観性はあり得る。
後者は、データ(=観察結果)がその個体独自の(=主観的な)ものを反映していると見なせるかどうかという、観察内容の特徴の話。こちらの主観性は、特定の心理学の分野がそれを調べたいと考えるまさにそのものであり(例えば視知覚や対人印象形成)、これが反映されているように見える「データ」を(謙虚に)扱っても別段problematicではない。
この区別には私も同意する。というのも私はヴント派の研究が完全に間違っているとは思っていない。あれは、観察結果を一般化しようとした点が批判の対象になっただけであり、その実験参加者に関しては紛れもなくその人についての客観的記述をしたデータなのだ(少なくとも一部は)。要は自己報告というデータを扱うスタンスという話に行き着くのである。

また、戸田山さんは、こういう場に来てトークするときにいつも心理学と他の分野とのインターフェイスをもっと研究してとお願いされる。そういうときに戸田山さんが「インターフェイス」と言っている意味は、lower levelへの還元ではない(それは本人も強調している)。さらには、物理主義へコミットしろなんてことも意味していないだろう、おそらく。(戸田山さんはconnectionistのようだけど。)心身問題に関してどのような立場を取るかはともかくとして、とりあえず現在の心理学者が閉鎖的に見えるからインターフェイスを考えようよ、という程度の意味だと私は解釈している。
だけど、戸田山さんの説明が(たいていの心理学者に対しては)十分でないから(いつもトークの制限時間のせいもあるだろうけど)、多くの聴衆に誤解されていると思われる。

竹村さんが言うには、社会認知研究の中でも Malle (2001) や Greenwald & Banaji (1995) は自然科学的でない例らしい(影響力があるから選んだのだろうが)。これらの研究の読み方については、私と真逆である。私はこれらの研究こそ(社会)認知研究の中でも他分野(特に生物学)とのインターフェイスに近い研究だと思っている。そしてそれゆえ、私自身の心理学的立場とも近い。特に、Malleの言語学的手法は竹村さんの目には人文学的に写るようだ。これも先述の「自己(言語)報告データの扱い」に関係するけどね。
また、竹村さん曰く、意図や動機の概念は、自然科学とのつながりではなく、処方的な意義があって、社会認知研究に要請されるのは、社会問題への貢献である、らしい。この点で、亀田さんに「その処方は有効なのか」とツッコまれていたけれど、竹村さんの言う処方と亀田さんのイメージする処方は意味がずれていると思われる(どちらも言いたいことはわかるが)。

藤井さん欠席は残念だ。スライド1枚のコメントの中には社会科学に対する誤解がある気がするが、それだけで確かめようがなかったので今後に期待。

亀田さん曰く、行動を心的概念で説明するのはトートロジーになっててダメだが、心的概念が従属変数ならOKらしい。これは意味が曖昧で(しかもさらっと流したので)何ともいえないが、言いたいだろうことはわかる気がする。賛成するかは別だが。だってそれって厳密に言えば従属変数じゃないし。
加えて、社会的関係、マクロパタンの説明には説明概念としての「心」は必須、ということらしい。で、最後通牒ゲームを例に出す、と。出たよ、北大節。しかしながら、通俗的にmentalだと思われている概念の中でも、亀田さんが引き合いに出された「期待」のような概念と、批判の的になりがちな「命題的態度」のような概念は取り扱いを区別すべきかも。少なくとも新行動主義者はそう考えると思う。
いやそれ以前に、説明の中でどう使われるかよりも、それが何であるか(存在論的仮定)のほうが心理学者の構成概念に関しては核心的問題だと私は思うんだけど。こっちでズバッと切れるよね。


さて一通り各論客に対するコメントを書いたが、そもそも私ならWSのお題にどう答えるかというと、「この問いの立て方がおかしい」と言うだろう。私の立場をご存知の方ならもうおわかりだと思うが、「心理学は科学か」とか「~~なので心理学は科学ではない」とか「心理学を科学にするにはどうすればよいか」とか考えるのは方向が逆である。どうして「科学」なんて(とりあえずこの項では通俗的に「科学」とは「科学的学問」の意としておく。私の推奨とは異なるが。)わけわからん概念が心理学に先立って、心理学の外に、あると考えるのか。心理学がまずありきなのである。そこから科学とはどういうものかを考えるのがまともな方向だろう。典型的には物理学が科学の定義を担うと思われているようだが(とくに心理学者によって)、もしそうならば確かに心理学とは独立に科学が定義できるかもしれない。しかしね、そういう特定の実質的学問(例えば物理学)が科学の定義(あるいは十分条件)として採用されなければならない理由はないのである。つまり「科学とは何か」のほうが、特定の学問群(例えば、物理学、天文学、生物学、医学、心理学などを範囲に入れるかもしれない)を俯瞰して議論されるべき問いなのである。だから、心理学はドンと構えておけばよいのであり(戸田山さんも似たようなことを言うと思うが)、心理学者が「自分のやっていることは「科学」なのか?」なんてハラハラドキドキする必要はないのである。科学(的)であるかどうかは、そういう実質的な学問間の共通性を調べたい人が「科学」という概念を定義しその上で(あるいは、しながら)考えることである。
では、心理学者は自分たちのやり方について何も考えなくてよいかというと、そうではない。心理学者に必要なのは、「自分たちの学問としてはどういう条件が満たされていれば(あるいは目指していれば)OKなのか」を考えることである。例えば、ある人は「客観性」が大切だと考えるとしよう。その場合、「客観性とは何か」とか「どういう要件が満たされていれば客観的と言ってよいか」とか、そういうことを考える。これはぜひ行うべきことである。しかし決して「科学と言ってよいか」を考えるのではない。深く悩んで考えるべきは、心理学という学問の目的に照らして目指されるべき個々の条件(やもしあるとすれば条件相互の関係)なのである。で、どういう条件をあつめて「科学」を定義するかは、「心理学」ではなく「科学」を考える人の仕事なのである。兼業している人は両方考えればよかろうが、心理学に活動範囲を限定している専門家は心理学に必要なものを考えておけば十分仕事はこなせているのだ。
ということで、社会的認知研究が主観的かどうかはともかく(それは別に議論するとして)、社会的認知研究が科学的かどうかなんて問いは意義がない(物理学的かどうかならば幾分意義があるが)。そうではなくて、社会的認知研究に必須なものは、客観性なのか、再現可能性なのか、普遍性なのか、主観性は要件には関係ないのか、などなどを煎じ詰めるべきである。なぜなら、こういう問いについて現状で社会認知研究者間の合意があるとは言えないだろうから。そして、科学的かどうかは、科学の定義にもよるのだから、外野に任せておけばよいのである。どんなヤジが飛ぼうが(実際には飛んでこないのだが)、自分たちが欠かせないと思う部分さえ確保していれば自信を失うことはないだろ。それができていないから不安になるのである。

どうして心理学者はこう「(自然)科学恐怖症」なんでしょうかね。というか、外の分野を見るときに、どうして外の人たちがやっていることに従おうとするだけで、「お前ら俺を見習えよ」的な方向に行かないんでしょうかね。

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