« 進化心理学と遺伝子 | トップページ | だから何なの文化心理学 »

FisherとBayesianist

先日のは、もし聴いていたら非常にタメになった研究会だったろうに、私んとこの人は誰も参加してなかった。もったいなさすぎる。プロの統計学者と哲学者が同じ卓を囲むなんて、世界的にも珍しいだろう機会なのに、なんでそれが理解されないのか。
同じ心理学者でも東大のKさんはいらっしゃってた。この辺が質の違いかもしれない。
彼女は因果推論に興味があって参加されたのかもしれないが、むしろ心理学者が聞くべきは出口さんや柳本さんの話のように思う。とくに、近年の心理学の教育を受けた人は科学史の知識がどうしてか乏しいので、方法論的な工夫をするためのヒントをみすみす逃している。ネイマン-ピアソン流も鵜呑みである(これはそう強制するカリキュラムのせいもある)。

まあ、私にとっては、あんな(われわれ実験心理学者にしては常識だが哲学者はわかっていないらしい)私のコメントよりも、狩野さんとシンプソンのパラドクスについて談笑する時間のほうが有意義だったのだが。
哲学者は知らないだろうとは踏んでいたけども、専門的すぎる数理統計学者も Cook & Campbell は読んでいないのだろうか。「事件は現場で起きているんだ」と言いたくなる。

とりあえず、今回のこれに出席して、以前書いた私のフィッシャー理解が正しいであろうという確信を強めることになった。

bayesianな信頼区間(?)と fiducial limits とは確率解釈の違いの問題か。事前確率を一様にすれば数値的には一致するだろうし。というかfrequentistの信頼区間も同じくなのでは。
じゃあ、実質的にこれらの間で何が違うのか?これが私にはよくわからない。解釈が違うって、そりゃあ文面上(言語表現上)の違いはつけてあるけれども、それぞれの解釈を採用したときにわれわれの行動にいったいどんな違いが出てくるというのか?結局同じなのでは?もしそうなら無駄な争いだろう。
だれか解説してください。

心理学には確率判断の研究は山ほどあるのに、確率理解の研究が少ないのはどうしてだろう。教育心理関係では統計リテラシーの研究などもあるかもしれないが、私が知りたいのは統計学の専門家の定義を市民がどう学ぶかではなく、確率なるものの素朴な理解である。untutoredではどうなっているか、なのだ。

|

« 進化心理学と遺伝子 | トップページ | だから何なの文化心理学 »

Α 科学の諸問題」カテゴリの記事

Δ 心理学の諸問題」カテゴリの記事

Η 数理の諸問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/26863/4593015

この記事へのトラックバック一覧です: FisherとBayesianist:

« 進化心理学と遺伝子 | トップページ | だから何なの文化心理学 »