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あるある

このブログは心理学の専門家以外にも読まれているようなので、このところの大事典の問題について、すこし実情をもらしておこうと思う。

心理学者はあんなものははなから信じちゃいない。
思考や社会的認知の研究をしている人は特にだ。
研究会などでダメな例として引き合いに出されていたくらいなんだから(ねえ、Hさん)。私も某所でしゃべったときに挙げてしまったし。
それどころか、Gilovichの教えが普及しすぎているのか、そういう話を聞いたそばから鼻で笑う人もいる。占いや血液型なんかの主題は特に。こちらはこちらでおかしなことになっている。逆の連合ができているのだ。つまり即否定。(似たようなことはいわゆる自然科学者による擬似科学や宗教への批判でも起こっている。)
まあ、こんなに極端ではないとしても、少なくともうちの研究室には、かの番組を見てスーパーへ行って実践しようなんて考える人は一人もいないだろう。
だから、そういう心理学者にとっては、事件は衝撃でもなんでもない。そういうの(番組の内容が事実ではないこと)はよくあることだと思って観ているはずだ。放送メディアとはそういうものだと。(まあ、実験計画がまずいのがスーパーに行かない一番の理由かもしれないが。) この不信心には、どういう種類の番組かはあんまり効いてこない。数少なくマシなのはニュースとNHK教育か。しかしそれらすら疑っている人もいる。これが専門家の俗世界観。

さて、ここまでで終わればいいのだが、そうではないのは毎度のこと。

専門家のこのような態度は表向きなのである。言い換えれば、裏がある。
こんな風に、あの番組はまるきりダメだね、って研究の場なんかでは言っちゃあいるけど、そういう人たちの日常生活をのぞいてみると、番組の占いコーナーを日々観てたり、カフェでの会話で「AB型だから~」とか言ったり、「○○成分配合」とかいう新商品をコンビニで優先的に選んだりしている。
つまり、仕事上と日常生活での信念が乖離しているように見える。
しかしこういう例は「それが真実だと信じている」ということではないだろう。
じゃあなんでかというと、もうある種の文化的なものになっているんじゃないかと私は思う。「おはようございます」みたいなものだ。午前中に同僚と出会って「おはようございます」と言われてほんとに早いかどうかを考える変人は滅多にいまい。「DHAたっぷり」もそれに近いところまできている。(たぶんこんな程度の論考をしている社会学者はすでにいっぱいいることだろう。)
番組の話に戻せば、そういう事実にもとづかない作りこみを容認している向きさえある。それをすることがそんなに悪い社会だと思っていないのだ。だって文化だもの。飲料のCMで「やせます」とか言ってても、「そんなの証拠不十分だろ!」って会社に電話して目くじら立てたりしないのである。
それが大人の専門家である。

そう考えると、あれを非難するのは大人げないことになる。

どうです、大人。

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コメント

「何が正しいものか分からない」世の中の中で、一応、信頼できるものとして機能しているのが「科学」や「学問」ではないかと思います。だから、「科学」を装いながらウソを報道することは特に反発を買うわけでしょう。

そう考えると、今回の件についても別の視点から見ることができるような気がします。

投稿: 情報学ブログ | 2007年4月28日 (土) 14時28分

「反発」が誰のなのか明記されていないですが、おそらくメディア(そしてそれが反映している一般市民)の反発のことをおっしゃっているのでしょう。
それに対してこの記事はいわゆる学者について書いているわけですが、市民についてもちょっとだけ書いてみます。

この記事の前半から示唆されるのは、裏返せば、一般市民がそういうメディアの言うことを信じているということです。しかし、あんなやり方をされると誰でも信じるかというと、そうではない。少なくとも信じていない人はいる。それがこの記事の前半に書いてあることです。
それは(言及されている対象について専門的知識があるような)専門家だからだろうと思われるかもしれないが、そうではない。心理学者は食物に含まれる栄養分やそれが人体の状態(病気や健康)にどう影響するかなんて全然知らないです。素粒子物理学者や統計学者や社会学者や教育学者も(おそらくその内の多くの人は)食品について専門知識を持たないでしょう。でもおそらく彼らも信じていなかったでしょう。じゃあなぜ信じないかというと、これもいろいろ理由は考えられますが一つcriticalな点は、私などはそうなんですが、番組を見ていて「それじゃあ証拠にならんだろう」とすぐに思う(見破る?)わけです。しかしなぜかそう思わない人も日本には多くいるみたい。
こういう現象は例のタミフルの件でも典型的に起こっていると私には思われました。どう聴いていも報道されたデータでは原因かどうかわからないんですが(お偉方の会議の結論はまともだと思われるんですが)、そう思わない人が多くいらっしゃるようです。

理科(science)教育では、これまでに自然科学分野で定説とされている内容(の一部)だけでなく、科学者と呼ばれる人たちが何を目指してどういう手段でどういうことをしているのかという「世界をempiricalに調べるとはどういうことであり、どういうことでないのか」を教えることも、その教育目標に含まれているはずだと思うんですが、後者(私に言わせれば定説内容を教えるよりもはるかに大切なこと)がいまいち市民に浸透していない。これが、この件に限らずいろんな社会問題の根っこを形成している気がします。

投稿: Midwest | 2007年4月28日 (土) 19時00分

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