« 測量 | トップページ | 非復元単純無作為 »

関連主義

再び私の個人史の中では古い部類の考え(しかし比較主義よりも後、【es】~Theme of es~を聴いて甘いなと思っていた頃のもの)を書き留める。私はこれを関連主義と呼んでいる。

この世界のもの(objects)は、遍く関連の集まりである。

そしてそれらすべての関連の集合が世界であるとも言える。

なにかモノ(例えば鶏や桜や石やたんぱく質や空気やπ中間子)がそこにあって、それがいくらか特徴的な性質や他のモノとの関連性(例えば既知の物理法則に従うような)を持っている、というのは正しい把握ではない。逆である。関連性がそのモノ自体なのである。
この世に根本的にあるのは物質ではない。物質自体、関連の集合である。
この方向がまともなのに、逆方向に考えようとするのはessentialismの匂いを感じる。それはそれで人間の持つ認識上の特徴であり適応的な方略なのかもしれないが、それは人間の認識範囲の限界とイコールではない。
もう一度モノとは何かを考えればわかる。

何かと何かが関連する。これが我々の世界の基本単位であり、関連を欠くものは存在を認められない(世界の外である)。だから関連性をすべて取り去って残るものはこの世界にはない。
ではその関連する何かとは?それは関連があって初めて定義されるのである。論点先取に見えるかもしれないが、そうではない。この点がこの説を理解できるかどうかのターニングポイントだ。述語には(特定の)主語は要らないのである。
もちろんこの原理は、substanceに限らず、認識対象すべてに当てはまる。無意味でない(この二重否定もコツ)objectを認めようとすれば、それには関連が必要である。

「何を言っているんだ、おかしいんじゃないのか、石は他のものと関連しようがしまいが(例えば無重力の真空中にあって何にもぶつからない状態でも)そこにあるだけで石だろ。」と思った人は、石がそこにあると知るために何が必要かを忘れている。

ああ、この考え方と、述語論理との関係を考えるのもよいかもしれない。例えば自由変項と束縛変項の概念の話とか。いったい何がprimitiveなのか。高階述語論理も考えるとおもしろい。
今思えば、この立場は、機能主義と仲がよいように見える。だが当時は私は機能主義を知らなかったし、それ以後これらの関係を考えてみたこともなかったので、私にとってはこの点の深い分析は手つかずのままである。

|

« 測量 | トップページ | 非復元単純無作為 »

Δ 心理学の諸問題」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/26863/4479118

この記事へのトラックバック一覧です: 関連主義:

« 測量 | トップページ | 非復元単純無作為 »