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他者についての推論と理解

今日のゼミで私が質問したこと。

他者理解の研究は、他者の心的状態についての推論の研究がもっぱら多い。理論だろうがシミュレーションだろうが、それは心的状態をいかに推定するかという点で争っているのである。

さて、しかしながら、「他者理解」を研究したいなら、そもそも推論には限らないのではないか?
たとえば「ウメさんは計画が失敗したと思っている」という文の意味自体を「理解」できることが、他者理解に必須の能力でかつ推論能力ではないものを示しているのではないか?

よく使われる誤信念課題(false belief task)などでは、参加者(たいてい3-5才)に自発的な推論をするよう求めているように見えるが、そういう推論(目の前にないことや述べられていない部分を埋めること)ができるかどうかと、「そもそも他者が思っているとか感じているとかいうのはどういうことか」というのを理解できることは、別ではないかと思われる。
「他者の心」という概念がちっとも理解できないなら、それについて現在状態を推測するなんてできるはずがない、とほとんどの人は考えると思うが、だからといって逆も正しいということはなかろう。

にもかかわらず、多くの研究ではこの「推論」を課しているし、冒頭の私がコメントした研究でも、ToM条件(と発表者が呼ぶもの)と統制条件との間に、それが他者信念に関するものか物理的事実に関するものかという違いだけでなく推論が要求されているかどうかも違っていて交絡している。「他者理解」には推論が必須なんだ、推論を除いてしまったら他者理解能力を測っていないんだ、というならこれでもよいだろう。
それなら、じゃあ、「昨日となりの源さんが足をくじいてすごく痛そうだったよ」という家族の発話、これは自分でその命題を推論によって導かなくても家族がそれを提示してくれているわけだが、これを理解することは何も社会的能力を要求しないのだろうか。いやそもそも言語能力が・・・。

はたして他者理解において推論は必須か?

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