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ゲームと本と想像力

私はコンピュータゲーム(いわゆるテレビゲームを含む)が好きでしばしばプレイする。その大きな理由の一つは(すべての理由ではない)、私が「ストーリー」なるものを好むからだ。私の周囲の人はよく知っているだろうが、私は映画を観る頻度が比較的高い人間だ。これにも理由は共通する。

テレビゲームに対する昔からよくある批判は、「テレビゲームは想像力を使わないからダメだ。本は想像力を要する。だから本を読め。」である。
ありふれているので、ここで特定の何かを引用するまでもないだろう。「テレビゲーム」「想像力」「本」などでウェブ検索してもらえばじゃんじゃん出てくる。
この種の批判がもし正当だとするなら、映画にも当てはまると思うのだが、なぜか映画に対してはほとんど聞かない。

そんな批判を片目に、私事を反省してみよう。参考になれば幸いだ。
私は、仕事柄当然ながら、本が読めないわけではない。それでもテレビゲームや映画を好むのは、逆説的かもしれないが、想像力があるからである。つまり、想像力がないから小説じゃなくテレビゲームにいくのではない。本を読んでいると、次から次にいろんな可能性が頭に浮かんでしまう(これを想像力があると言わずして何というのか)。それによって私は(ジャンルを問わず)本を読むスピードがおそらく平均よりも遅い。かかる時間はどうでもよいとしても、そんな風に頭が働いてしまうのは、ストーリーを読むという楽しみにとっては、かなり邪魔である。
そこへいくと、テレビゲームや映画は、想像範囲を適切に制約してくれる。余計なことを考えなくてよい(それでも提示されたこと以外をまったく想像していないわけではない。ある程度の想像は常に働いている)。だからこそ私に好まれる。

もし私と同じような人が多くいるならば、ストーリーつきのコンピュータゲームを小説よりも好む人々は、想像力がないのではなく、むしろありすぎて困っている人たちではないだろうか。


無論、心理学的には、想像力の定義が問題である。世の人々はいったい何を「想像力」と言っているのか?
想像を可能にする能力のことか?あるいは出来事ひとつあたりに対する推論の量のことか?あるいは頻度のことか?自発性のことか?それとも?
「想像力が養われない」と言うときは、いったい何のことを対象にしているのか、それを養うとはどういうことか、を明確にしてほしいものだ。

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