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高次の信念

今日の大森さんの講演で、高次信念の話が出た。
彼はレベル0、レベル1、レベル2、と呼んでいたが、われわれの分野で言うところの一次の信念、二次の信念、三次の信念と同じことだと考えて差し支えないだろう。

簡単におさらい。
志向的でない状態あるいは事象をUとすると、
一次の信念:Uについての信念。例、人が走っていると信じる。
二次の信念:Uについての信念についての信念。例、人が走っていると信じていると信じる。
三次の信念:Uについての信念についての信念についての信念。例、人が走っていると信じていると信じていると信じる。
四次の・・・(無限に続く)
この入れ子の話は、志向的な状態一般に(例えば欲求とかにも)通用すると思うけど、研究ではたいてい話を信念に限るわけだ。
二次の欲求の例1:人が走っていると信じることを欲する。(走っていると認識してほしいな)
二次の欲求の例2:人が走ることを欲することを欲する。(走ってほしいと思ってほしいな)
三次の欲求の例:人が走ることを欲することを欲することを欲する。(走ってほしいと思ってほしいと思ってほしいな)
高次の心的状態について語るときに、自分の状態でなければならない、という制約をつける人もいる。
自覚公理をつける人も。

大森さんの話で興味深かったのは、コンピュータシミュレーションの結果、同じレベル同士だと協調課題がうまくいかないということだ。これはどんなシミュレーションなのか詳細がわからないので(それをその場で聞くのも野暮だったので)疑念は晴れないが、もしこれが確かなら重要な手がかりだろう。たしかに、日常生活でもそのような例は思い当たる。
しかし結局、根本的な問題は、レベル切り替えがもし行われているのなら、それはどうやって(何を基準に)行われるのか、ということだ。あるいはもっと広く言えば、レベルの設定がどうやって行われるのか、ということだ。それがメカニズムのネックなのだ。ちなみに私の研究はこれについての研究である。
講演ではこの点についての言及はなかった。Sさんが質問で時間要求のことを指摘していたくらいだ。

もちろん「これは擬似問題である」という決着のつきかたをする可能性もある。
私がこれまで行ってきた試みは、次の2種類。ひとつは、井の中の蛙。もうひとつは一階の事実化と私が呼ぶもの。前者は、自覚公理に対抗するもの。後者は、その上で、階の規定因のひとつになりそうな手がかり、かつ、擬似問題化への入り口。

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