« 高次の信念 | トップページ | 行動分析学 »

空集合の集合

おもしろい記述をみつけた。

存在しないことは存在するか

集合論を理解するキーポイントはφではなく、{ } ←こいつ(このカッコ)のほうだと私は理解してきた。
というか、{ } ←こいつが集合論での根源的な概念だと思っている。こいつ自体は正当化されない。だから、こいつに納得するしかない。そうでなければその人は集合論を理解できないだろう。

先ほどからこいつこいつと言っているのは、まさしく「集合」のことである。
公理系が云々とか言う前に、{ } が使えるということが大前提である。
{ } この記号の意味を理解したなら、もうほとんど習うことはない。
一番のハードルはこれである。
つまり、何の理由も与えられないのにこれを受け入れなければならない。
受け入れれば集合論は何ということもない。
しかし、ある人がこれを受け入れられないからといって、周りの人がそれになんやかんやと理由をつけることもできないのである。
だから、どうしようもない。
この点は、論理の正当化と同様である。

しかるに、{ } (空集合ではなくカッコの記号を意図しています)が理解できるなら、φ と { φ } との違いもおのずと理解できる。理解できないなら、その方は { } が理解できていないのだろう。でも、理解できるという保証もないだろう。

ちなみに、φ と { φ } との違いは、(上のリンク先が言うような)「事実」の問題ではない。数学だから。

|

« 高次の信念 | トップページ | 行動分析学 »

Η 数理の諸問題」カテゴリの記事

コメント

リンク先のものですが、もしかして本エントリー、特に

(以下引用)
{ } この記号の意味を理解したなら、もうほとんど習うことはない。
一番のハードルはこれである。
つまり、何の理由も与えられないのにこれを受け入れなければならない。
受け入れれば集合論は何ということもない。
(引用終わり)

の部分を真面目に書かれているのでしょうか。もしそうでしたら集合論についての認識を改められたほうが良いと思います。別のエントリーで一階述語論理の重箱の隅のようなことに言及されていましたが、もし集合論に関して本文のような認識をされているのが事実ならば、論理学を人さまに教えるのはおやめになられたほうがおたがい幸せになれると思います。

投稿: かがみ | 2008年12月30日 (火) 00時58分

> もうほとんど習うことはない。
とか
> 何ということもない
というのは、ちょっと強調したいというレトリックだったのですが、それにしても強調しすぎかも、とは思います。
まあ、勢いとメモで書いているので、ご勘弁。たしかに習うことはたくさんありますし簡単じゃないですよー。>学生の方々

この記事で書こうとしたことは、はじめて数学で集合の話を聞く高校生などを思い浮かべてもらって(公理的集合論どころか素朴集合論にも至らない、最初の最初のイントロです)、そこで先生が言う「集合」あるいは日常語で言えば"集まり"や"集まりの集まり"や"1個の物の集まり"や"0個の物の集まり"などという概念を受け入れられなかったらそもそもどうしようもないんじゃないの?という素朴な疑問です。(あるいは∈のほうがプリミティブなのか私はわかりませんが。)
つまり学校へやってきた初学者の頭の中に集合概念(を受け入れられる素地?)がすでにありき、が数学教育の前提であって、そして多くの人はそうなっているかと思いますが、そうでない人がいた場合に、集まりの概念自体を教えることはしないというか、それを頑なに拒否する人がいたらこっちも正当化できないから話が通じない、というLewis Carroll的なことを思ったわけです(何の厳密な分析もないです)。

このことが記事中のリンク先のかがみさんの記事で扱われている話と関係があるのかどうか私はわかりませんが、上記を思い起こさせてもらったきっかけだったので、リンクをはって紹介させてもらいました。
かがみさんの記事内容の批判ですらないですし、そもそも私はそちらの話の深淵を理解できていません:'

で、コメントで引用していただきましたが、どこが誤りなのか私はわかっていないので、もしよろしければどこがどのように誤りなのかをご教示くだされば大変喜びます。

ちなみに、私は一学徒であり、論理学や数学を授業するなんて滅相もないことです。
つまりここで学生と書いているのは、(私も含めた)私と席を並べる者達は、ということです。おそらくレベル低いです。

投稿: Midwest | 2009年1月 1日 (木) 07時32分

まず事実をきちんと確認せず、こちらと私の記事で誹謗中傷的な記載を行ったことについておわび致します。
この記事は一年以上前から存じておりました。私自身集合論が大好きですので「受け入れれば集合論は何ということもない。」の部分については愉快ではありませんでしたが、論理学や集合論と無関係の方が書いたならば、このような認識もしくは表現は良くあることですので、特に問題にするつもりもなかったのです。
ところが先日偶然「一階述語論理の公理」の記事を拝見いたしました。その文面での「余計な仕事をさせられた」の部分や「全称量化が存在を含意しないことを理解しているかどうかというテスト問題作成のキーポイントと絡んでいる。」の部分を勝手に解釈し、 Midwest 様が一階述語論理に関する教鞭をとられていると思い込みました。すると集合論に関する本文の認識は、一階述語論理を教える立場としてははまずいと思うとともに、教師の立場であるならば、学生に教えることが「余計な仕事」という言葉は許容できないと思ったのです。
以上すべて私の自分勝手な解釈でした。私の記事の方にもおわびを記載致します。大変なご迷惑とご不快な思いをおかけし申しわけございませんでした。

投稿: かがみ | 2009年1月 1日 (木) 15時02分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/26863/6617614

この記事へのトラックバック一覧です: 空集合の集合:

« 高次の信念 | トップページ | 行動分析学 »