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2007年11月

共時性?

コメントいただいていてトラックバックまでされていたのに、忙しくて対応できませんでした。
時間を見つけたのでちょっとだけ書きます。

来生自然さんによると、私の記事「他者の心、自分の心」は

伝統的推論に則るか、「逆もあり」として考えるかを選択問題として取り扱っておられます。

しかしながら、同時生起的という概念(構造構成主義ないし竹田現象学的な意味合いでの「相関性」、もしくはユングの「共時性」)から見れば、「他者の心」と「自分の心」とを同時に認識するとともに、そのような概念が同時に生成するのではないかと思われます。

ということですが、さて、私は「共時性」はよく勉強していないので(というか勉強しても理解できなかったので)この当てはめが正しいのかどうか判断しかねます。
が、とりあえず私が書いたことが厳密にどういうことであるかを言っておくと、他者を認めることが「私」を含めた「心」の概念獲得の契機になる、のかもしれない、ということです。
おっしゃるとおりこの図式は因果と見られるでしょう。しかし、他者の認識が時間的に先行しなければならないと言ってはおりません。たしかに微妙ですね。
Leibnizのごとく、同時でもよいのです。> 0 ではなく >= 0 です。(これは自然科学では普通の考え方だと思っていたのですが違うのでしょうか?)
まあ、個人的には、動的過程を研究するものとして、私の他の理論との整合性を考えると、これに関して > 0 でないと難しいなあと思っていますがね。説単独ではどっちでもよいです。

この説のポイントは、まさに「自分の心の概念」発生が「他者の心の概念」発生に先行する必要はないという点と、それゆえに浮かぶ「ならば『他者の心の概念』はどうやって得られるのか」という問いに、別の仕方で(おそらく生得的に備わった仕方で)自分の心の概念には依存せず行われる、と答えるという点です。
同時でもよいなら矢印を引かなくてもいいじゃないかと思うかもしれません。対概念なら例えば、「前」が生まれれば「後」も同時に生まれる、というようなイメージで。しかし、ここが私が「契機」と言いたいポイントで―道具主義的ですが―、きっかけは他者を認識するほうにあると考えるわけです。つまり、「他者の心の概念」発生に影響する因子をいろいろと操作して「他者の心の概念」発生を早めたり遅めたりすると「自分の心の概念」発生もそれに伴って変えられるんだけど、逆はそうはいかない、と。こういう説なわけです。概念発生は同時でもいいんです。

どっちみち、突飛な説なんですけどね。しかし未だに、こっちの説のほうが少し優勢だと私は考えています。
注意すべきは、「心の理論」説とは、「心の理論」概念のほう少し修正してくれたら、両立できます。つまり、「心の理論」が私がここで「自分の心の概念」と呼んでいるものではないものを指示対象にしてくれたらいいんです。まあ、曖昧すぎる「心の理論」をそんな風に生き延びさせる必要もないと考える方もいるかもしれませんが。

ということで、来生自然さんは私と同じ事を言わんとしているように私には見えます。ユングは解りませんが。

ゑれきてる~特集「始まる」~1.心の機能は、いつ始まるのか(上) http://elekitel.jp/elekitel/special/2002/01/sp_01_a.htm によると、3歳頃に心が再編されるとのことです。

で、それまでが「自分中心の世界」であったわけですが、3歳時のニューロンの成長と整理によって1歳時のエピソード記憶の多くが失われてしまうことからも、「他者の心」を「他者の心」として認識可能な時期での「自分の心」は、自分・他人といった境界発生と同時に生起していると考えるべきだろうと思うわけです。(同時に自他の間の関係も発生しています)

と書いていらっしゃるのだから、「心が再編される」きっかけがあるとお考えでしょう。
そのきっかけを、先述の私説は、外に求めるわけです。
まあ私は、この説に立つならば、「自分中心の世界」とは呼びたくないですがね。

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