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学問と共有

先日の研究会にて、古くから保留していたネタが出てきた。予想外だった。

学問たるには「共有性」は必須か?

簡単に言うと、得た(と認識している)知見を、他の人と共有しなければ、学問ではないのか?例えば、心理実験をして新しい現象を発見をしたとしても、それを誰にも言わずに研究を進めていると、それは心理学ではないのか?というようなことだ。

研究会では意見はまっぷたつ(?)に別れたわけだが・・・。

出た例を挙げてみよう。
地球から遠くの星で心理学研究をやっている人がいて、自分を被験者に実験をして、いろいろおもしろい現象やその説明を見つけた。その星には他に人がいないので、その人は誰にもそのことを伝えていない。しかし、彼の持っている心理学的知識は、地球の人々のそれよりもだいぶ進んでいるとしよう。この場合、彼のやっていることは心理学ではなくなるのか?

興味深い意見としてTさんが出したのは、「確かに地球の人が知らないことを彼は知っているが、それを地球の我々は心理学とは「呼ばない」」。

他の例。遠くの星でなくても、どっか地下にこもって他の人との連絡を絶って1人で怪しげな研究している人っていう設定は、小説とか映画とかでよくある話だ。普通の人々の間では倫理的に許されないような実験とかをしてて、そういう人を呼ぶのに「マッドサイエンティスト」という言葉をあてたりされている。これを額面どおりとるなら、その人はたしかに科学者ということになるが・・・。

まあ、現場の我々としてはどうでもいい話だが、「学問」とか「科学」とかを定義したい人には気になる話でしょうか。

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