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2009年5月

誤った怒り

正しい怒り、間違った怒り、というと、2つの意味に取れる。
1つは、倫理なり、法律なり、何か規範があって、それに従っている場合を正しい、外れている場合を誤り、とするもの。
これは横においておいて、ここではもう一方の意味について書く。
すなわち、真、偽の意味で、正しい、誤りという場合のこと。

誤った憎しみ、悲しみ、喜び、怒り、等々、何でもよいが、こういう感情について正しいとか間違いとか言うことは錯誤である(「価値判断と事実判断と帰納」も参考に)。
それは、それ自体ではない他の何かと照らして一致しているとかしていないとか、そういうものではないのだから、真であるとか偽であるとかは(対応説の意味では)該当しない。
例えば怒りというのは、その「感じ」が怒りなのであり、きっかけはあろうとも、内容はない。欲求と区別しなければならない。(しかし自分や他者の感情についての「言明」には真とか偽とか言うことができる事に注意。)

ところが、正しい怒り、誤った怒りと私が表現するときは、適切な表現ではないかも知れないが、これを超えた先の意味があって、それはつまり、この怒りのきっかけが正しいかどうか、という意味である。
だから、正確に表現するなら、「正しい認識にもとづく怒り」、「誤った認識にもとづく怒り」となるのかもしれない。

ピンときた方、good.
怒りや憎しみや憤りは否定できないが、そのきっかけは否定できる。そして修正できる。
これは法に心理学的にアプローチする場合の最も重要な概念の1つだと思われる。

self-regulation研究の観点からも重要であるが、基礎研究と臨床研究と実践がまだまだ足りない。重要性を早く理解して、沢山税金を投入してほしい。

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