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ジョンのLove

たまにこういうネタ書くんですなあ・・・

知ってる人は知っている Century Lovers という曲の歌詞に

愛とは―愛されたいと願うこと

というフレーズがあります。タイトルのとおり、これ自体も引用なんですが。

この定義でどこまで行けるか、考えてみましょう!Everybody, say fu-fu !!

 

いわゆる、再帰的定義に見えますね、これ。
明確化のために、ちょっと補っておきましょう。(暗にここがポイントなんですが)

Love(x, y) := Hope(x, Love(y, x))     ・・・ (1)

こうなりました。
すると、Hopeに何か制限がないかぎり、いわゆる無限高次の命題的態度となります。すなわち、

Hope(x, Love(y, x)) = Hope(x, Hope(y, Love(x, y))) = Hope(x, Hope(y, Hope(x, Love(y, x)))) = ...

これをこのまま受け入れるという道も論理的にはあるんでしょうが、
人間にはこの(静的)表象は無理なもんで、
Hopeに限界(あるいは終了条件)を設け、この無限再帰を回避する道を考えてみる。
例えば、人は三次までのHopeしか表象できないとすると、

Love(x, y) := Hope(3, x, Hope(2, y, Hope(1, x, Loove(y, x))))

として、Loove という Love とは異なるプリミティブ愛みたいなものを導入することに・・・。

※ いわゆる相互顕在性というやつが、どっちを意味したいのかはわからない。定義をそのまま受け取ると無限再帰のように見えるが、認知的限界に言及しているからなあ。

さてここで、もう1つ打開策として、推論的表象を考えてみる。
推論的表象と呼ぶのが適当なのかどうかは定かではないが、ここで意味したいことは、
推論手続きと原初的定義だけが表象されていて、それを組み合わせてできるものは
必要となったその場で構成される、というものだ。(いつ必要になるんじゃい!)
上に対比して動的な表象と呼ぶのがいいのかもしれない。

この場合に適用すると、上の(1)と、再帰適用の規則だけを持っていて、後は考えていない、と。
つまり、どんどん回帰していくことは、やろうと思えばできるけど、やっていない。

でもこれは、言い換えれば、静的に把握されていない、さらに言い換えれば、それが意味することを完全にわかってはいない、ということになる。
つまりこのジョンの定義は、愛とは何かはわからないのだよ、ということを言っているのか。// だから愛を語りつくすことはできないのか?:-)

推論的表象そのものは、実際に人間のやっていることを部分的にうまく捉えれる概念だと思うのですが、このような、スタート地点+規則というのは、無限に続く場合とそうでない場合があって、無限に続く場合も、規則集合が有限であるかぎり、サイクルができます。
そういうサイクルができる場合(このLoveの場合もそう)に、単に意味が把握できない、ではなく、それを全体としてガバッと意味を持たせることは可能ではないか、ということも考えられるでしょうか。
循環小数のようなものです。
その場合、サイクルを把握していなければならないのですが、ここで必要なサイクルの定義もあやふやで、定義をするには認知的な側面、表象機能の分析を反映させねば。
やや、これって実無限と可能無限の話??

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