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アンケート調査は認知科学の研究にはなりえない?

なぜアンケート調査は認知科学の研究にはならないのか?

蒼龍さんは興味深いことを沢山書いてらっしゃいますが、残念ながら、これは大きな誤り。その理由はこちら
たぶん目を通した文献の偏りによるものでしょう。かく云う私も偏ってますがね。


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2010-11-15 コメントのとおり、追記です。

まず、蒼龍さんの批判の対象となっている調査手法ですが、

心理学や社会学での尺度(例えば好きから嫌いまでの間を5段階に分けてそこから選ぶようなタイプの質問の仕方)を用いた質問紙調査のような科学的調査のこと

とあり、「企業がよくやる消費者に適当な質問に答えてもらうようなもの」や「テレビや雑誌などでよく見かけるアンケート調査」は話の範囲から外すことが最初に断られています。
よって、蒼龍さんによれば、それらの調査は "科学的" だと認定されている一方で、

学術的なアンケート調査が科学的であると言えるにも関わらず、これが認知科学の研究とは言えないどころか、認知科学の視点からはむしろ研究として怪しくさえ思える
いわゆるアンケートを配るタイプの一斉調査は認知科学の研究にはなりえない

と批評されているわけです。
なぜなら、

質問紙調査は文字通り行動の帰結しか見ていないが、質問紙の結果から心的過程を推測できるかと言えば、多分それは無理だ
いわゆるアンケートのような一斉調査では研究者の介入が不可能で何も制御できない(実験のように比較条件もない)

というのが主な理由のようです。

さて、私が「大きな誤り」と言って、理由として挙げた過去の記事が意味しているのは何かと申しますと、「アンケートのような一斉調査」でも「研究者の介入」が可能であり、「制御」ができ、「比較条件」も設けることができる、ということです。
そして実際にそのような研究(たとえば比較条件を設けた質問紙調査)は行われています。(そのような研究をご存じないのだと予想し、「偏りによるものでしょう」と書かせていただきました。)

そしてさらに、他の方法(質的方法(面接)や実験室実験など)との違いが、過去の記事に挙げた程度しかないことから、他の方法で「心的過程を推測できる」ことをお認めになるなら、「質問紙の結果から心的過程を推測できる」ということも意味しています。
(私の過去の記事はこの「違いの少なさ」を強調するのが主旨だったのですが、質問紙はダメだとかおっしゃるのは蒼龍さんに限らないもので、方法に関する偏見もかなり広がっているようだとの日頃の思いからアレは書いたのでした。)

蒼龍さん自身、

言語学で用いられる文法性判断などは、表面的にはアンケートっぽいが、実質的には実験と同じ効果を持つ
...(質問紙を実験の中に埋め込めば別かもしれないが)

などとおっしゃっているので、おそらく質問紙でできることの幅広さに勘付いておられるのではと思うのですが、どこで「研究にはなりえない」などという結論(これは"不可能"を意味しています)になってしまったのか不思議でした。
そんなに色々なことができるのに、アンケート調査は「補助的」で「研究の中心」にはできず、「アンケート調査そのものは認知科学の研究にはならない」のだそうです。


おそらく誤解のポイントはこの辺だろうとあてをつけて、いくつか断片に意見してみます。

認知科学の考え方の基本は機能主義

「基本」が意味するのは何かが問題なのですが、もし「通底する基盤」のような意味、すなわち「機能主義でなければ認知科学でない」というような話だとすると、これは誤解だと私は思います。
一方、「多くの研究者が自覚の有無はともかく機能主義的立場をとっている」という意味ならば、そのとおりでしょう。でもその場合、それは単に「人口が多い」だけで(バニラが好きな人が多いというのと同じで)、認知科学とは何ぞや、の構成素たる資格にはならないでしょう。
ここで言及すべきは機能主義ではなく個体レベルの研究における行動的アプローチかと思います(なまじ「行動主義」という言葉を使うと蒼龍さんのような勉強家には誤解されるので止めます)。
そして、その点で質問紙調査とそれ以外との違いを見つけるのは難しいでしょう。

実際にはアンケート結果の(統計的)解釈は機械的に一義にできるわけじゃなくて、いろいろな解釈が可能

他の手法でとったデータでも同様です。なのでこれはアンケート調査だけの問題ではありません。

質問紙調査では為された行動(答える)の結果である質問紙だけを(統計的に)扱うのだが、そこでは質問紙に答える心的過程が問われることはないどころか、むしろできない

実験だと行動の観察から心的過程を推測できることをお認めになっているのですから、質問紙調査でも心的過程を問えることは認めてよいはずです。また実際に、「問われることはない」ことはなく、問われております。
実験のほうだけがOKなら、蒼龍さんの言う「実験」と「質問紙調査」の違いをもたらすのは何でしょうか(それがあるとすれば、私の記事で挙げられていない要因であるはず)。
ちなみに(蒼龍さん以外のために)、行動データ(行動の結果?)を扱うのも、統計的に扱うのも、アンケート調査に固有ではありません。さらにアンケート調査は統計的でなく扱うことも可能です。

質問紙に不真面目に答えたとか大嘘を書いたとかを考慮できるわけではなく、あくまでそこは回答者の良心に頼るしかない

そのような回答者の態度や姿勢や努力などに関する問題は、他の方法でも同様にあります。
蒼龍さんは言語学での調査については合格印を押されているようですが、それも回答者がまじめに答えてくれることが前提です。
実験室実験であっても、回答者が教示どおりにボタンを押してくれたり、居眠りしないことが前提です(そしてこの前提を破ってくる方が毎回少なからずいらっしゃるのも現場の実状です)。

考古学でも言語学でも(言語や人工物の)内容よりもむしろ構造に注目している点に注目せよ(たとえ内容を見るとしてもあくまで構造と結び付けられる)。アンケート調査は内容だけに依拠しているから問題になる。

領域をまたがった「内容」と「構造」の対比というのが、意味が一貫していないように思うのですが、それにしても、アンケート調査が回答者による回答の内容(インクのしみが意味しているもののこと?)だけに依拠というのは正確ではないと思います。

なぜ認知科学がプロトコル分析のようなややこしい方法をとらなくてはいけないかが分からなくなる

プロトコル分析が採用されるメジャーな理由はいくつかあると思いますが、時系列に沿ったデータがほしい、タスクの途中段階のデータがほしい、事後的に干渉されないその場の(現場では「オンライン」と呼ばれることがあります)データがほしい、等々。
単に、データというのはそれぞれ表しているものが様々異なっていて、特定の種類のデータへのニーズからプロトコル分析も行われるのであって、データが何かを表しているという点に質問紙だろうが発話だろうが違いがあるわけではありません。
様々な種類のデータは認知科学全体の発展にそれぞれ役立っているわけで、質問紙のデータだけ特別に「補助」に格下げなどされる理由はないと思います。

プロトコル分析の基本は何かをやりながらしゃべらせる方法であり、そうすることで余計な心的過程を省く努力をしている

誰の「心的過程」のことを言っているのか(被験者なのか実験者なのか研究者なのか)わからないのですが、被験者のだとすると、並列して発話させることで何か「省く」ようなことは研究者も期待していませんし、たぶんそんな効果はありません。
この文脈でいくと、例えば、質問紙だと社会的望ましさによって回答が歪む、みたいな効果を除くということを想定されているのかと思いますが、プロトコル分析でも社会的望ましさで発話がばっちり歪むでしょうから、本質的な違いはありません。
研究者のだとすると、データが増えることで当て推量が減るから「省く」というのは確かに、なんですが、それはどんな方法でもあり得るでしょう。


いただいたコメントでも

単純な一斉調査では(中略)問題がある

とあり、「単純な」が何を意味しているのか私には的を得ないのですが、仮に、先生にお願いして、授業時間の中で授業の出席者に説明をして、一斉に質問紙を配って、その場で記入してもらって、提出してから帰ってもらう、というケースだとします。
これは日本でも米国でもよくあるケースで、これ以上の特別のこと(一人一人個室に呼んだり、その場でグループを作らせたり、発話をさせたり、etc)をしないので、蒼龍さんの「単純」の場合に合致するかと思います。
この場合でも、条件比較はできますし、時系列を追うこともできますし、自由な記述を分析することもできます(自由な文章を書いてもらうのは、多くの質問紙調査の定番です)。
なので、それに「問題がある」とするなら他の方法でも同様に問題があるでしょうし、他の方法に問題がないとするならこのような質問紙調査にも問題がないでしょう。

ついでに。
いわゆる「ダメなサーベイ」と呼ばれるものは現実にあります。しかし同様に、「ダメな実験」というのも「ダメなインタビュー」というのも「ダメなフィールドワーク」というのもあります。
そのダメさは、目的に適っていないか、あるいは努力不十分ということであって、原理的にこの方法自体がダメだというのではありません。
蒼龍さんも、

どうすれば調査紙から認知過程を探ることができるか

とおっしゃっているので、その辺りは理解されているのでしょう。たぶん私とのズレは「認知科学の現場の現状認識」の部分で、私は実際に「ダメじゃないサーベイ研究」を知っているので、意見の相違の一番の原因は情報収集の偏りだという推察の確信を強めるに至りました。

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コメント

どうも、蒼龍です。私の言ったことがすべて正しいなんて馬鹿なことはありえないので、その辺はうまく批判的に対処してくださいね。

さて、リンク先のどこが理由になっているかは私にはよく分かりませんでしたが、注意してほしいのはアンケート調査のすべてが認知科学的でない訳ではないことです(確か記事でも留保をつけてあったはずなのですが…)。実際に調査紙をつかった認知科学的な研究はいろいろあります。私が第一に言いたかったのは、単純な一斉調査では(心理学的にはどうであれ少なくとも認知科学的には)問題があるということであり、次に喚起したかったのはどうすれば調査紙から認知過程を探ることができるかを考えてもらうことです。

投稿: 蒼龍 | 2010年11月 5日 (金) 00時42分

ご本人にコメントをもらえるとは感激です。
まさか応答いただけるとは思っておらず、
私のリンクだけの記載は大多数の人にとって不親切すぎるので、
記事への追記にて主意を明確に書くことで、返答に代えさせていただきます。

投稿: Midwest | 2010年11月15日 (月) 17時11分

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