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2011年9月

simplist's cleaver

fam です。
いろいろなところで、オッカムの剃刀 Occam's razor がよく引かれますが、それについての説明が間違っていることがときどきあります。しかし、次に挙げる場合に比すれば頻度はさほどでもないです。

これは私の研究の一部なのですが、人はどうやら単純なものを好むようです。非常に荒っぽい一般論として。

余談ですが、その理由について。
大量な文脈を調べないといけないのでまだ途上ですが、一つの有力候補として、認知能力が限られている、というのが挙げられます。(c.f. 行為する有限の人間
さらには、認知システムの作り方として、ある特定の複雑性レベルを中心とするよう最適化されてて、こうなっている、という理由も有力です。

それはともかく、わき出てくるこの単純さへの希求に素直に従ってはいけません。

オッカムの剃刀が、まともだと評価されるのは、次の条件が付いているからです:
歴史的な事は私も詳しくないですが、古くからの表現の1つとして

Plurality must never be posited without necessity.

より現代的な表現としては
other things being equal, a simpler explanation is better than a more complex one.

(c.f. ceteris paribus)

複数の理論やモデルを比較する場合、この without necessity あるいは other things being equal には、同じ説明力を持つ、というのが中心的部分として含まれます。
よって、この剃刀によってエンティティを削るとしたら、それによって少々説明力が落ちてはならないのです。
なのに、この点を誤って剃刀を引いている例が多いのです。

例えば、回帰分析で、説明変数の数を減らすと、全体での分散説明率が落ちます。しかしモデルは単純になります。
こういう場合に、オッカムの剃刀を引用して変数を減らすことを正当化しようとします。これが間違いです。
オッカムの剃刀はそういうことを勧めているのではありません。

誤解の無いようにしてほしいのは、ここで指摘しているのは「オッカムの剃刀の内容を正確に理解して使っていない」事であって、上記の例のように、回帰分析で変数を減らす行い自体をダメだと言っているのではない、ということです。

こういう場合に変数を減らすことの正当化に使えるのはオッカムの剃刀ではありません。他の何らかの正当化が要るでしょう。(そして実のところその正当化はかなり難題でしょう。これが私が研究してきた内容でもあるし、何百年も前から学者が格闘している問題でもあります。)

「多少説明力は落ちるけど、がっつり単純になるから、こっちのほうがいいや」というのは、単純主義です。(上で正当化が難しいと書いたとおり、単純主義が真実に近づくことは保証されていません)
大なたを振るって、食べれる部分もごっそり切り落として、綺麗な角形のサーロインだけ残しているのです。
それは繊細な剃刀の技ではありません。

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